「この横丁ができたのは平成5年。それまでは寂れた町だったんです」

しみじみと述懐するのは、おかげ横丁広報担当の濱口泰弘さん。参拝者たちは観光バスで鳥羽など別の観光地へ行ってしまう。なんとか引き留めるべく、「おかげ参り」の精神に立ち返って町づくりをしたらしい。

「伊勢神宮周辺に暮らす私たちは『神領民』と呼ばれていました。お参りする方々に無料でおにぎりを配ったり、草鞋を提供したり。あつくもてなすことが伊勢神宮の神様に伝わって、徳が受けられるという信仰心があったんです。旅する方々もそのおかげでお参りすることができた。だから『おかげ参り』なんです」

お願いではなく感謝をする場所

おかげさまで伊勢参り。旅人は神領民のおかげでお参りができ、神領民も旅人のおかげで徳を積めて生活もできる。おかげの元は伊勢神宮。神様のおかげということなのである。

「犬もお伊勢参りしていたそうです」

続ける濱口さん。

——犬が、ですか?

「家の主人が病気でお参りできなくなり、犬が代参したそうなんです。当時、伊勢参りをする人は必ず柄杓を身につけていました。柄杓が伊勢参りの印。そこで犬に柄杓とお金の包みをぶら下げて送り出したところ、それを目にした人々が費用を受け取りながら一緒に連れていってくれたという話もあるんです」

こうしたエピソードは江戸時代の『御蔭參宮文政神異記』などにも記録されている。伊勢参りをしようとすると、空から破魔矢や御札が降ってきたという超常現象も綴られているが、多くは人の善意の話。

阿波国(徳島県)の8歳の子供が道行く老人を頼りに伊勢参りをした、道中でお金を盗まれても宿の主人が貸してくれたり、お金がなくても船に乗せてくれた、伊勢参りを申し出た妻と夫婦喧嘩になり、夫が殴りかかろうとすると手が動かなくなり、やむなく伊勢参りに送り出すと、手が再び動くようになった等々。江戸時代に大ブームとなった「おかげ参り」は、神様というより「おかげさま」の御神徳のようなのである。

——濱口さんも伊勢神宮にお参りをするんですか?

不躾ながらそうたずねると、彼はこう答えた。「祈願は地元の氏神様です。願い事は地元の宇治神社なんです」