感じないので目をつむったりしていると、参道を歩く人々が近づいてきて「何ですか?」と私に訊く。「なんか、パワースポットみたいです」と答えると、彼らも次々と手をかざし、たちまち焚き火を囲むような人垣ができたのである。パワーは正式な祈祷と違ってタダでもらえる。もらえるものはもらわないと損するということか。
俺のせい?
手をかざせばそこがパワースポット
恐縮してその場を立ち去ろうとすると、その先の場所にも手かざしをする女性たちがいた。白砂利が敷き詰められているので、私が「それは何ですか?」とたずねると、「パワースポットです。こうしているとあったかいんです」。
私が首を傾げると「敏感な人ならわかるはずです」と注意された。後で聞いたことだが、そこは多賀宮の遙拝所。多賀宮まで歩いていけない人がお参りする場所だった。
勧められるままに私も手をかざす。しばらくその姿勢でじっとしていると、本当に掌がほんのりとあたたかくなった。おそらく手の甲が風除けとなり、掌の内側の空気をあたたかく感じるのだろう。どこでやってもそうなるわけで、手をかざせばそこはパワースポット。手かざしは人を呼び込むパワーも生み出すのだ。
「すみませーん」
最初にたずねた女性がスマホ片手に駆け寄ってきた。そして画面を私に見せて「ここは穢れをとる場所でした」と解説し、こう続けた。
「参拝の前に清めるべきでした。やっぱりちゃんと清めてから正宮に行かないとダメですよね」
どうやら彼女は参拝し直すらしい。「清め」を知ることで自分の穢れに気づく。清めの場所は穢れも生む。清めるから穢れ、穢れるから清める。神社にはこの巡りが内包されており、だから神社を巡ることになるのだろう。
遠すぎる内宮
外宮を出て内宮に向かう。衛士から「早足なら30分です」と教えられたのだが、それはとても無理だった。内宮への道は参道ではなく、普通の道路。大型トラックも走り、沿道にはピザーラや牛丼チェーンの店も並んでいる。
さらにはアップダウンもあって龍脈としてもかなり荒れている。せっかく外宮で清めたのに汗が吹き出し、歩きながら「果たして同じ神宮といえるのか」という疑問さえわいてきた。
1時間以上かけて、ようやく内宮前の「おはらい町通り」に到着。早朝参拝の予定がすでに9時を過ぎており、通りの一角にある「おかげ横丁」も縁日のようなにぎわいだった。
土産物屋や名物伊勢うどんの店、組紐など伝統工芸の店もある。昔懐かしい射的や屋台も出ており、合計63軒。ここは「江戸時代のおかげ参りの頃の伊勢の様子を再現した町」(パンフレット)なのだそうだ。