神様はお留守?
天照大御神は留守のような気がしたのである。ちなみに「留守」とは「家人が外出した時、その家を守ること。また、その人」(『日本国語大辞典』小学館 1976年)。家は守られ、守っている人もたくさんいるが、ご本人は不在。
かつて林羅山は神体が「ない」から神は「いる」と言っていた。いないからいるということだが、人がたくさん「いる」と「いない」ような気がする。人が「いる」ことで気配は立ち去ってしまうようなのである。
ならばどこに?
帰り道を歩きながら私は考えた。どこということもなく遍在しているのか。神道でいう「隠身」だとすると居留守なのか。留守ということはもう一度出直せと暗示しているのか、などと考えを巡らせているうちに、なぜかこう思った。
お姉ちゃんのことか。
突然、生後間もなく死んだ姉のことを思い出したのである。私が生まれる前のことなので、私は姉を見ていない。天照大御神も生まれるとすぐに天上界に行ったし、暴れん坊の弟、素戔嗚尊にずっと手を焼いていた。
弟とは私のことで、姉は今も天上界で見守ってくれているのではないか。そういえば姉も美人だったと聞かされている。しかし母が見たわけではなく、産後のショックから母を守るために父がそう言っただけで、これもひとつの言い伝えだった。
見えない「おかげさま」ということか。見えないからこそ身の内から沁みわたる。沁みわたって私はあたたかいチカラに満たされたのである。
「そこじゃなくてここ」「ここじゃなくてそこ」
内宮の鳥居に深々と頭を下げ、私は神宮を後にした。そして鳥居前でタクシーに乗る。ホテルのある外宮近くまではとても歩けないのだ。運転手に「おかげさまで無事お参りできました」と告げると、彼は「二見興玉神社も行かれましたよね?」と私に問うた。
——二見? 行ってませんが……。
「そこ、行かないと」。彼はなぜか厳しい口調。
——なんで、ですか?
「倭姫命と天照大御神が鎮座する場所を探していた時、最初に『ここだ』と言ったのは二見浦ですよ」
——そうなんですか?
「二見浦にはすでに興玉神社があったから、やむなく今の内宮になったんです」
どうやら地元では、本当の「ここ」は二見浦だと解釈されているらしい。確かに巡行の記録『倭姫命世記』には二見浦に立ち寄ったという記述がある。彼によると、伊勢神宮の正しい参拝は、まず二見興玉神社で身を清め、それから外宮、内宮に参って最後に二見興玉神社で帰路の無事を祈願するというコース。
「そうだったんですか」と私は驚き、そのまま二見浦まで走ってもらった。実に美しい海岸で有名な夫婦岩もあり、確かに「ここ」と言っていたような気もする。本当は二見浦を「ここ」だと言ったのに、すでに神社があったから変更になった。整理すると「そこじゃなくてここ」だと思ったが、「ここじゃなくてそこ」になったということなのである。