私に相談する人は年に1人もいない

「いや、私に相談する人は年に1人もいないんです。相談事ってだいたい3つの種類に分けられる。1つはAかBかの選択。Aの道は面倒だけど正しい道。Bは楽で効率がいいけど人の道に外れてるとか何か問題がある道。どっちの道を行けばいいでしょうかっていう相談。そんなの知らんがなという(笑)。自分で決めるしかない。私に聞いたら、絶対に面倒くさくて遠回りな道を選びなさいと言う。それがほんとは近道だから。それは質問者も心ではわかってるんです、どちらを選ぶべきかは。だけど辛いほうを選びたくないから、楽な道を行きなさいと言ってもらいたいだけなんです。

福聚山 慈眼寺住職・大峯千日回峰行大行満大阿闍梨 塩沼亮潤氏

もう1つは人間関係。これは両方いないとわからない。人間関係で自分の非はゼロで相手が100悪いというのは、ほぼないでしょう。自分も反省しないといけない。

最後はお金の悩みだけど、私に貸せという人はいない。お金ないってオーラが出てるから(笑)。

そういうわけで、みんな私に相談しても無駄と知ってるのか、いろんな人が来ますが、ここでお茶を飲んで世間話をしていくだけなんです。世間話をしている間に、私がその人に必要なことを言ってるんだって。だからお寺なんだけど、悩み相談に来る人はほぼいない。面白いでしょう」

法衣を脱ぎ、作務衣に着替えた大阿闍梨は磊落で気取ったところがない。いわゆる僧侶らしくもない。吉川英治の『宮本武蔵』に登場する師・沢庵和尚を彷彿させる。嫉妬心について訊ねるとこう答えた。

「私が見てきた限りでは、妬みや嫉妬の強い人は努力癖がない。怠け癖はあっても。あの人ばかりなんであんなに恵まれてるのか、どうして成功するのか、とか指をくわえて見ているだけ。普段努力してないから。

住職が自ら材料を運んで建立したという仙台市の慈眼寺。

人生には波があって、チャンスは必ずあります。そのチャンスのときって、意外とピンチのときが多いんです。でも普段努力している人なら、その努力を土台にピンチの中から何かを掴んでくる。努力していないと、そのチャンスが掴めない。

それで、何であいつばっかりと相手を妬む。自分は何も努力しないで結果だけ求める。努力しないで、汗も涙も流さないで、あの人みたいになりたいと思っていても絶対になれません。自分より優れた人、自分にはとてもかなわないという人に出会って『クソっ!』という気持ちになることは、誰にでもある。問題はその気持ちをどっちに向けるか。悔しさを自分に向けるか、相手に向けるかの違い。自分ができなかったら、できない自分に『チクショー』と思い必死に努力すること。どちらの道を選ぶべきかは誰でもわかる」