就任から1年という短い期間でその職を退いた

「特に農水省というのは、事務次官になるために政治家に取り入って貿易交渉などで媚を売る人も多かったのですが、英昭氏はそこを超越していました。最近の農水省が官邸の言いなりになって、省内の空気が悪くなっているのを憂いていました。実力がない官僚は政治の力を使って上にのしあがるしかないが、英昭氏はそんなことをする必要はなかった。人望も厚く、同時期に入省した他の職員と比べて、器の大きさが飛びぬけていたのです。官僚の鑑みたいな人だと思いますよ」(福島氏)

同じく01年に総理大臣となった小泉純一郎氏の首相秘書官を務めていた飯島氏もこう語る。

「英昭さんは農業従事者のためだけではなく、消費者の目線を取り入れた組織体への改変を進めた人です。それにより、今日にいたる農林行政の礎を築いたわけです。彼の事務次官としての奮闘は農水省の歴史的転換点になりました」

しかし、事務次官在任中に、国内で初めてとなるBSE(牛海綿状脳症)問題が発生した。熊沢容疑者は対応にあたったが、畜産局長だった際に未然に防げなかったことの責任を問われ、就任から1年という短い期間でその職を退いた。

「出世のために政策を曲げるようなことはしない」

当時農水大臣だった武部勤氏が「感染源解明は酪農家にとってそんなに大きな問題なのか」「そんなに慌てることはない」などと発言したことにより、大臣への問責決議案が参議院に提出されることになったが、マスコミ対応などをしたのは熊沢容疑者だった。飯島氏は「責任を一身に背負ってもらうため、内閣として次官更迭の体裁を取った」と振り返る。

一方で福島氏は当時のことをこう説明する。

「自分の身を守るために政治家に媚を売ることは一切しないからこそ、BSE問題では責任を取る羽目になったのかもしれないですね。自分の出世のために政策を曲げるようなことはしない人ですので、最後まで毅然とした態度を貫いたのでしょう」

その後、熊沢容疑者は05年、駐チェコの大使に任命された。