1998年、大蔵省をめぐる接待汚職事件が起き、112人の職員が処分を受けた。元大和証券常務の恩田饒さんは「このうち長野厖士(あつし)証券局長は、処分を受けて大蔵省を退職。その後、弁護士に転じると高額所得者番付のトップ10入りするほどの成功を収めた。長野氏は『大蔵省からの去り方が、納得できるものではなかった』と話していた」という――。
※本稿は、恩田饒『実録 バブル金融秘史』(河出書房新社)の一部を再編集したものです。
ノーパンしゃぶしゃぶ店から大蔵省幹部の名刺が出てきた
行政改革が打ち出され、大蔵省にもメスを入れるべきという議論がなされていた最中の1998(平成10)年に、あの事件が起こる。大蔵省接待汚職事件、というより「ノーパンしゃぶしゃぶ事件」といったほうが通りがよいかもしれない。
大蔵省の大手銀行への検査は、2〜3年おきに行われていたので、ある程度の見当はつけることはできたが、MOF担(大蔵省折衝担当者)はそれを正確につかまなければならなかった。そのために接待攻勢をかけていたのだ。
その接待の舞台の一つが、当時有名となった「ノーパンしゃぶしゃぶ」だった。
大蔵省の某幹部の名刺が、新宿歌舞伎町のノーパンしゃぶしゃぶ店から出てきた、などと報道されたりもした。
「スカートの中をのぞける仕組みになっていた」
以下は、実際にノーパンしゃぶしゃぶ店を訪れた人の話だ。
「ミニスカート姿の若い女性がしゃぶしゃぶを運んできて、部屋に入ると下着を脱ぎ、掘りごたつになっている客の隣に座ったりした」
「接待してくれる女の子のレベルは、総じて高かった。天井から酒のボトルが吊り下がっていて、酒の注文が入ると、女の子がテーブルの上に立つので、スカートの中をのぞける仕組みになっていた」
「テーブルの下にはビデオカメラが設置され、チップを払えば、モニター画面を通じ、座っている女性のスカートの中も見ることができた」
「料金は、チップを含め一人あたり、2万円は超えていた」