「ライブドア事件」では証券会社社員が10億円のボーナスを手に入れたといわれている。元大和証券常務の恩田饒さんは「2008年に破綻した米国の大手証券会社リーマン・ブラザーズは、ライブドアの特殊な転換社債を主幹事として発行した。リーマンの社員は、稼ぎに応じて多額のボーナスが支払われるため、こうした施策がまかり通っていた」という――。

※本稿は、恩田饒『実録 バブル金融秘史』(河出書房新社)の一部を再編集したものです。

握手
写真=iStock.com/metamorworks
当時は「循環取引」が横行していた(※写真はイメージです)

ホリエモンの第一印象は「飾り気のないナイスボーイ」

2005(平成17)年頃、“ホリエモン”は時の人だった。日本一有名な経営者・堀江貴文の姿をメディアで見ない日はなかった。

筆者も、当時『勝ち組に学べ!』という書籍(磯崎圭二との共著・シグマベイスキャピタル刊)を執筆するにあたり、堀江とは何回か面談した。

場所は、当時ライブドアの本社のあった六本木ヒルズ38階の応接室。

筆者の見た第一印象は「飾り気のないナイスボーイ」だった。話し方も、彼の服装同様に「ノーネクタイ調」で、若手の経営者によく見られるような気取りや格好付けたところもなく、本音をオブラートに包まずズバリと表現するところは、ごく自然で好感が持てた。

ニッポン放送の株を取得し、フジテレビの支配を目論む

堀江は2003年、経営破綻した無料プロバイダー「ライブドア」を買収し、自ら創業していた「オン・ザ・エッヂ」の社名をライブドアに変更していた。

当時は新進の企業家として注目されたが、料理に例えるなら、付け足しの「珍味的存在」などといわれてもいた。

それが翌年、近鉄バファローズ買収騒動あたりから、堀江の名前は全国区となる。

さらに2005年には、いわゆる「郵政解散」に伴う総選挙に立候補。小泉政権の放った刺客として、亀井静香の地盤の広島から無所属で立候補し、結果は落選したが、強いものに向かっていくドン・キホーテ的姿勢は若者の圧倒的な支持を得た。

一方で、ニッポン放送の株を取得し、フジテレビの支配を目論んだ(結果は失敗)あたりから批判的な目で見る人も増えてきた。

そして「ライブドア事件」が起こる。