エリートの集まる官僚の中で、その頂点といわれる財務事務次官(旧・大蔵事務次官)。だが、その経歴を調べてみると、戦後入省で財務事務次官となった36人のうち、22人は浪人や留年などの「回り道」をしている。なぜなのか――。

※本稿は、岸宣仁『財務省のワル』(新潮新書)の一部を抜粋したものです。

財務省
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入省までに回り道をしている割合

秀才では言い足らず大秀才、いや天才と呼んでもいい優秀な頭脳集団である財務省。今も世の中の人が思い浮かべるイメージに大きな変化はないと思うが、ここでは意外な事実をお目にかけたい。新聞記者の頃から霞が関の中でも財務省人脈をフォローしてきた筆者にとって、ほぼ40年の歳月を経て初めて知る事実もあった。

この取材は、ある財務官僚とのちょっとした会話がきっかけになった。

「うちの事務次官経験者を調べてもらえばわかるが、入省までに意外に回り道をしている。むしろ、そんな人のほうがトップを極める確率が高いように思う」

何気ないやり取りに虚を衝かれたような思いがした。それまで財務官僚といえば、大学も国家公務員試験もストレート(現役合格)が当たり前と思い込んでいたが、改めて彼らの入省時の年齢を調べてみると予想外の結果が出たのだ。

戦後入省で事務次官に就任した人は、就任予定の矢野康治まで36人を数えるが、内訳を見ると、現役14人(39%)、1浪相当14人(39%)、二浪相当以上8人(22%)となる。かっこ内の比率からも明らかなように、現役が39%なのに対し、一浪相当以上が61%にのぼり、ほぼ4割が現役、残りが何らかの回り道をしている。

いざ蓋を開けてみて6割以上が回り道と聞くと、エリート中のエリートである財務官僚に対する固定観念が揺らいでしまうかもしれない。いや、逆に財務官僚とて人の子、人生につまずくこともあるだろうと、むしろ自身の同類を発見したような安堵感を覚える向きもあるに違いない。

受け止め方は読者に任せるとして、次官経験者の中から印象に残った回り道組の何人かを紹介してみたい。

大秀才の入省年時の年齢に違和感

最初に登場してもらうのはまさにその人物であり、戦後入省者では退官後を含めて最も出世した松下康雄元日本銀行総裁である。

今から40年前の1981年、筆者が初めて大蔵省の記者クラブである財政研究会を担当した時、松下は主計局長のポストに就いていた。赴任の挨拶前に人物情報を仕入れていたが、それは松下の大秀才ぶりを窺わせるものばかりであった。

「松下さんは神戸一中(現兵庫県立神戸高校)始まって以来の大秀才と謳われた。旧制中学時代の同期に、共産党切っての論客として鳴らした正森成二さん(元衆議院議員)がいて、二人はライバルとして成績を競い合ったそうだ。旧制一高ではドイツ語を専攻したが、ドイツへの留学経験がないのに語学力も群を抜いて、独高級誌シュピーゲルを辞書無しで読んでいた」

人間の器というか、懐の深さも人並み以上であり、主計局主査(課長補佐相当)の頃から「将来の次官候補」の前評判が高まった。その後、主計、主税、銀行局の主要ポストを満遍なくこなし、出世の階段を順調に駆け上った。

官房長のあと主計局長を経て事務次官に昇り詰め、「大物次官」の証明とされる二年間の任期を全うした。大蔵省OBの強力な推薦を受けて日銀総裁候補に浮上、日銀からの反発もほとんどないまま、次官経験者としては最高の天下りポストを掌中に収めた。

そんな華麗なエリートコースを歩んだ松下だが、入省時の年齢が二24歳と年を喰っているのが引っかかった。官房秘書課が作成する人事録を見ても、軍隊経験は書かれていないし、遅れた理由に触れた記述は見当たらない。