「挨拶するだけ」が目的の不毛な時間
しかしながら、クライアント企業からすれば、こうした人々は実際のところ邪魔にしかならない。会見や記者発表会といった場では、あくまでも情報をメディアで広げてくれる取材陣がもっとも重要なのだから。それなのに、スーツ姿の男どもがズラリと会見場の壁際やら、後ろの空きスペースに居並んでしまうので、取材陣の通行の妨げになったりする。
きっとクライアント企業の人々は「お前ら、会見で特にやることもないのになんでいるのだ。別に挨拶になんて来なくていいから、もう少し諸費用を安くしてくれ!」と内心、愚痴っていることだろう。
だが、広告関係者も必死だ。「会見場には競合の○社の営業も挨拶に来るだろうから、われわれも行かざるを得ないな」なんてことを考え、他社に負けてなるものかとやって来るのである。このような「お付き合い」「虚礼的」「儀式的」な参加は、本当に意味がない。当然、主催者側もこうした「いなくてもいい人々」の来訪を計算に入れているので、会場も少し大きめのものを押さえたりする必要があり、無駄なカネがかかってしまう。
大部屋の椅子が足りなくなったプレゼン
このような現象は、会見の場だけの話ではない。私は「競合プレゼン」や「全体ミーティング」といった会議の席に、会社員時代もフリーになってからも数え切れないほど参加してきたが、やはり人数が多過ぎるのだ。たとえば、かつて経験した某自動車メーカーのプレゼンでは、30人は楽に座れるような大きな会議室をクライアントが押さえてくれたにもかかわらず、椅子が足りなくなった。
先方からは役員も含めて12人ほどが、入口手前側の大テーブルにズラリと並んで座っている。緊張感の漂うなか、われわれ提案側の人間も次々と会議室に入っていったわけだが……こちらはなんと、総勢25人もの大部隊だったのだ!
広告代理店の営業部長は「わが社の総合力を見せるとともに、『これだけのスタッフがかかわるほど本気なんだ!』といった気迫を先方に感じてもらおう!」と鼻息荒く発破をかけたのだが、結局は椅子が足りなくなる始末で、プレゼンの開始が遅れただけだった。そして、その場で下っ端だった私は、会議中に一言もしゃべることなく終わった。