「意味喪失社会」における働く意味

クリスチャン・マスビアウ『センスメイキング』(プレジデント社)

――「人文知の復権」という言葉は、これまで何年かに一度は繰り返しに叫ばれている感もありますが、『センスメイキング』で言われていることの特徴はどんな点でしょうか。

いわゆる教養懐古主義に陥るのではなく、「原点に立ち返って古典を読め」という主張とも違う点が評価できますよね。もちろん「教養や古典が大事」という言い分もわかるけど、いくら言ったところで世の中は変わりません。必ずしも“正しいこと”が世の中に受け入れられるわけではなく、“正しいことで受け入れられること”が世の中に流通していくわけです。この本では、ある意味で“正しいこと”を“受け入れられるかたち”にしてうまく伝えていると思いました。

僕は数年前から、「意味」に関しては色んな場面で発言し、書いてきました。たとえば、2014年の記事「意味喪失社会を生きる!?:たかが意味、されど意味の時代」。ここでは、現代を「意味の時代」と呼んで、“人が何かをなすとき、何かを決めるときに行う「意味づけ(Sense‐making)」の意味が、今までよりもさらに「重要」になってくる時代”と定義しました。

新入社員が働きがいを見出せなかったり、仕事がつらくてやめるのは、「つらい仕事の意味がわからずやめる」のです。そこになんらかの意味づけがあればやめないという選択肢もあるのですが、この意味づけがぽっかり失われている。この場合、意味づけしてあげる立場にいるのは上司やマネジャーなのですが、その点は多くの会社ではあまり重視されていません。さらに言えば、この「意味喪失社会」は、ここ数十年、人文知が挑戦している大きな課題だと思います。

「働いて成長したい」はもはやデフォルトではない

――中原先生の『残業学』でも、「マネジメントの力不足」という表現がありました。マネジャークラスの上司たちが、部下たちに働くことの意味づけをしてあげることで、時間のけじめを付けて退社できるし、労働も成長の糧になると意識することができるのだと思います。でも実際にはそのような話し合いよりも、HRツールの導入など、小手先だけの施策にとどまることも多いと感じます。

そうだと思います。私の研究室にも6人ほどの研究スタッフがいるので、よくわかります。マネジメントとは「意味の調整」でもあります。まず、みんなには、やりたいことや思いがある。しかし、プロジェクトの進行やめざすところも、また、ある。いかにこれら同期させ、意味づけていくか。このやりくりこそが、マネジメントの真骨頂です。わたし自身も修行の身、課題だらけです。

――働くことの意味づけは、今後どのようになってくるのでしょうか。

結論から言うと、働くことの意味は働く人のぶんだけあるのだと思います。ただ、自戒をこめて言いますが、働き方や人材育成をテーマにした「自己啓発本」では、「人って仕事をとおして成長したいよね」という「成長しまくりたい願望」をデフォルトに設定していて、そういう意識を持った人を対象としていますが、それは間違っているように思います。むしろ、仕事には安心や安定だけ求めている人や、「そこそこ働いて、幸せに生きていければいい」という人も、今は多いはずです。

だから、実は人によって仕事の意味づけは違うわけだから、その人のニーズを聞くことが重要だと思います。そうすれば、上司も「だったらこういうふうにやりましょう」と、自分の持っているレパートリーのなかから答えられる。いくら職場の魅力を伝えても、それが聞き手のニーズにマッチしていなければ、その人にとっては魅力的に映らないわけですよね。だから、面倒でも、仕事や職場にその人が何を求めているのか聞いてあげることが大事です。

――個別のマッチングが必要ということですね。

そうですね。だから、人事や、人を動かすということが、すごく大変な時代になったと思います。その時代に合ったマネジメントのやり方を考えていかなくてはならないですよね。