「まったく添加物のない生酛純米酒を造りたい」
実家である新政酒造でも、生酛どころか純米酒すらあまり造っておらず、生産量のほぼすべてが「普通酒」。そこで、佐藤さんは「まったく添加物のない生酛純米酒を造りたい」という思いに辿り着くのです。
さまざまな経験で「知の探索」を進めながらも、佐藤さんは「一貫した価値観」を持ち続けてきたことがわかります。それは、「嘘をつくことが嫌い」「本物を世に出したい」といった価値観です。そもそもジャーナリスト時代から企業の不正行為を暴く正義感があったように、日本酒でも「添加物だらけのものを出して日本酒と呼べるのか」と、佐藤さんは考え始めます。実際、佐藤さんは「酒造りをやっている今でも、自分がやっていることの本質はジャーナリスト時代と変わらない」とおっしゃいます。「さまざまな知の探索をしながらも価値観は一貫している」というのは、多くの成功する起業家に見られる特徴でもあります。
債務超過間近の実家を大改革
問題意識を抱きながら、佐藤さんは国の研究機関である「酒類総合研究所」の研修生に転じます。そして1年たった頃、実家に帰って酒造りをしようと決めた佐藤さんは、父親に酒蔵の帳簿を見せてもらい、衝撃を受けます。会社の経営が大きく傾いていたのです。「売り上げに対して2割ほどの赤字が数年連続して出ていました。債務超過間近でした」。
赤字の原因は、当時、新政の売り上げの80%以上を占めていた普通酒でした。なかでも価格競争に陥っていたパック酒は、売れば売るほど赤字が増える状態だったのです。
実家の蔵の窮地を知ったことで、研修を1年半で切り上げ、2007年に32歳で秋田に戻った佐藤さんは、すぐさま大改革に着手しました。まず行ったのは、酒の造り方を変えることでした。経営を圧迫する普通酒の製造を減らし、最終的に全量を生酛純米酒とする方向性を決めました。質の高い生酛純米酒であれば価格競争に陥りませんし、何より佐藤さんのビジョンに適います。