「新潮45」の休刊など、迷走続ける「新潮ジャーナリズム」
私は、この内容を紹介した際にもこう書いた。
(中略)
私が聞くところによると、『新潮』は、日大のアメフト傷害事件を取材する中で、この話が日大関係者から出てきたそうだ。
興味を持った『新潮』編集長は、その頃の当事者から話を聞けと指示し、詳細を聞けたことから掲載に踏み切ったということのようである。
何せ、30年以上も前の話だから、証言以外に物証はほとんどないのではないだろうか。
そのせいか、8月22日に発売された『新潮』(8/30号)は「笑い飛ばせばそれで良かった『爆笑問題 太田光』の日大問題」と、新たな裏付けは示さず、リードでこう書いた。
「本誌が報じた爆笑問題・太田光(53)の日大芸術学部への裏口入学事情。えらい剣幕で報道を否定する場面が生出演のラジオやテレビで繰り返された。世間を斜めに斬り笑いにしてきた人物が『そんなに恥ずかしいこと?』と笑い飛ばせなかったところに違和感が募るのだ」
裏口入学事情? 裏口入学したと断定していたではないか。笑い飛ばせ? それはないだろう。親父が暴力団に近い人物を使って裏口入学させたというのでは、この記事の中でも野末陳平がいっているように、「ふざけんなよ。芸人なんだからなんて枠はない。芸人である前に人なんだ」。
これを読む限り、どうやらこの勝負、太田光の威光に逆らった『新潮』にやや分が悪そうではある。
(プレジデントオンライン<爆笑できない太田光の「裏口入学問題」>2018年8月26日)
10月9日に口頭弁論が開かれ、太田の代理人の松隈貴史弁護士は取材陣に対して、「大学も裏口入学の事実は把握していないといっている」と話し、週刊新潮側は請求棄却を求めたそうだ。
この件といい、杉田水脈の「LGBT差別論文」を掲載したうえ、批判が巻き起こると、杉田よりもお粗末な書き手の反論を掲載して、月刊誌「新潮45」が休刊に追い込まれた件など、このところ「新潮ジャーナリズム」は迷走を続けているように思える。
迷走は「赤報隊事件」の大誤報から始まった
そのきっかけを私は、週刊新潮(2009年2月5日号・1月29日発売)が4週にわたって連載した「実名告白手記 私は朝日新聞阪神支局を襲撃した!」の大誤報から始まっていると考える。
朝日新聞支局を襲って2人の記者を殺傷した「言論テロ」は、今でも朝日の記者だけでなく、メディアに携わる人間たちの心に深い影を落としている。
事件後、赤報隊と名乗った卑劣な犯人は、警察や朝日新聞記者たちの懸命な追跡にも捕まらず、2003年に全事件の公訴時効が成立してしまったのである。時効後、その事件の実行犯だと名乗る収監中の元暴力団員の男が、いくつもの報道機関に手紙を送りつけた。朝日新聞の記者もそれを手に入れ、男に何度か会いに行ったが、犯人ではないと断定していた。
だが、当時の早川清編集長は、編集部のごく一部の人間と件の男に接触し、何を血迷ったか、掲載を決めてしまったのだ。編集部員の多くは、見本刷りが出て初めて読んだと聞いている。
私もさっそく読んでみた。私が連載していた週刊誌批評に、「連載を読む限り、『新潮』がどれだけ裏付けをとったのか見えない」「出ている材料は状況証拠ともいえないものばかり」だと批判した。