自衛隊では年に一度、体力検定が行なわれる。走る、投げる、飛ぶなどの基礎的な体力があることは昇任選考でも考慮されるという。つまり高級将校であっても走れなければダメなのだ。なぜそこまでやるのか。自衛隊トップの役職である統合幕僚長を務め、映画『シン・ゴジラ』の統幕長のモデルともされる伝説の自衛官・折木良一氏が、その狙いを解説する――。(第5回)

仕事力を高めるトレーニングの科学的効果

第4回の「なぜ自衛隊は『即断即決』を訓練するのか」において、危機的な状況のなかにおいて、いかに強靭なメンタルを保つべきか、ということをお話しました。第3回の「なぜ自衛隊は休むことを命令するのか」においては、「戦力回復」という概念で、休息がいかに組織の生産性を上げ、戦略の成功確率を高めるのか、ということを述べました。

折木良一『自衛隊元最高幹部が教える 経営学では学べない戦略の本質』(KADOKAWA)

本稿で指摘したいのは、そうしたメンタルの維持や休息の重要性に勝るとも劣らない、しかし誰もがつい見逃しがちなことです。読んでみれば、当たり前じゃないか、と思われるかもしれませんが、当たり前を日々実践することこそ、難しいことはありません。

ひと言でいえば、それはフィジカル、つまり身体を健康に保ち、かつ鍛え上げる、ということです。昨今はビジネスパーソンのあいだでも、健康に対する意識がかつてないほど高まっているように見受けられます。しかしそこからさらに進んで、自らの身体を鍛え上げることが、じつは任務(仕事)においても高いパフォーマンスを出すことにつながる、という意識をもつ人は、まだ少ないのではないでしょうか。

運動やトレーニングは、睡眠と同じように、脳によい刺激を与え、神経伝達物質のバランスを整えてくれますし、運動することで交感神経が活性化されると心拍数が上昇し、軽い興奮状態になります。人間は交感神経優位の時間が増えると意欲的になり、ポジティブな感情になるといわれます。

公益社団法人日本心理学会のウェブサイトによれば、ポジティブ感情を経験することが創造的な思考活動や学習機会を増加させるなど、行動のレパートリーを広げ、さまざまなコーピング(ストレス要因や、それがもたらす感情に働きかけて、ストレスを除去したり緩和したりすること)を可能にするのです。

さらにポジティブ感情には、ネガティブ感情によって高められた嫌な気分や心拍率、血圧など自律神経系の症状の進行を止め、素早く元に戻す効果があることも示されています。つまり、業務遂行に伴う逆境やストレスに直面しているビジネスパーソンは、ポジティブな感情になることで、思考や行動のレパートリーを拡大させながら、ストレスやネガティブ感情がもたらす身体的弊害を緩和することができるのです。

高級指揮官も自らを積極的に鍛えている

また、ジョギングやウォーキング、サイクリングといった太陽の光を浴びながら一定のリズムで身体や筋肉を動かすリズム運動は、心のバランスを整える神経伝達物質のセロトニンの生成を促します。日中、気分がシャキッとして集中力の高い状態で仕事に取り組めるのは、セロトニンの作用が大きいといわれます。しかもセロトニンには、脳内物質のドーパミンとノルアドレナリンのバランスをほどよく保ち、これらの物質の暴走を抑える働きがあるとされます。

そもそも自衛隊員にとっては、身体を鍛えるということは「仕事」であり、「任務」でもあります。とくに、過酷な環境下で任務を行なわなければいけない現場の第一線の部隊・隊員にとっては、強健な体力が求められます。そのためには、日常的に体力を錬成することを意識しなければなりませんし、体力の向上そのものがパフォーマンスを高めることに直結するのです。