編集長は「誤報」と認めるが、取締役には残ったまま
朝日はこの記事を検証した批判記事を掲載したが、それに対する週刊新潮の反論も、「朝日の言葉の揚げ足とりに終始している」と断じた。
結局、連載後に、早川編集長は「誤報」だと認めるのだが、読者に対して十分な説明責任を果たさずに編集長を降りてしまう。取締役には残ったままだった。聞くところによると、編集部にも何ら説明はなかったという。
週刊誌ジャーナリズムの信頼が大きく揺らいでいる。危機感を持った私は、上智大学で「週刊誌が死んでもいいのか」というシンポジウムを開催した。
各誌の前・元編集長や田原総一朗、佐野眞一などに来てもらって、長丁場のシンポだったが、大盛況で中に入れない何百人もの人たちは、会場の外で耳をそばだてていた。
「新潮社の天皇」として君臨した齋藤十一の哲学
だいぶ前になる。北鎌倉・明月院の紫陽花が咲いていた頃だったと記憶している。
明月院の門前を通り、坂道を登り切ったところにその家はあった。主はすでに亡くなっていたが、未亡人が優しく出迎えてくれた。通された応接間から見えるのは真っ青な空と鬱蒼とした森ばかり。さっき通ってきた明月院の紫陽花が見え隠れしていた。
よくここで夫とクラシックのレコードを聴いたといいながら、日本に一台しかないといわれるオーディオの名器・デッカ(英国デッカ社製のデコラ)で、モーツアルトのレクイエムか何かを聴かせてくれた。
ジャズは多少わかるがクラシックにはとんと縁がない私には、心地よい音楽としかいいようがないが、こうした穏やかな雰囲気の中で、この部屋の主は、「週刊新潮」や「FOCUS」のエグいタイトルを生み出したのである。
主の名は齋藤十一。1939年に新潮社に入社以来、1996年に相談役を退くまで新潮社の天皇として君臨した。文芸雑誌・新潮編集長のとき、こういっている。「本誌は文学雑誌であるが、あらゆる角度から今日の社会現象をも文学的に扱いたい」。吉村昭、柴田錬三郎、山口瞳、山崎豊子、瀬戸内寂聴など、挙げればきりがないほどの作家を発掘した。
だが、潰した作家もそれに倍するぐらいいただろうと、『編集者・齋藤十一』(齋藤美和編、冬花社)で佐野眞一が書いている。