書店で目当ての本を買うには、店内をうろうろする必要がある。これはムダな時間なのだろうか。評論家の宇野常寛さんは、新しい雑誌『モノノメ』の創刊にあたり、「アマゾンでは売らない」というテーマを掲げた。宇野さんは「アマゾンを否定するわけではないが、『本屋で時間をかけて本を選ぶ』ということの豊かさを手放すのはまずい。だからモノノメを創刊した」という――。
[紀行文]10年目の東北道を、走る あの震災から10年、そろそろ次のステージへと考えたくなるタイミングだからこそ、もう一度しっかりとあの土地たちを歩いてみたい。そんな視点から綴られたかつての「被災地」の旅の記録が、本誌の巻頭を飾っている。
提供=PLANETS
[紀行文]10年目の東北道を、走る:あの震災から10年、そろそろ次のステージへと考えたくなるタイミングだからこそ、もう一度しっかりとあの土地たちを歩いてみたい。そんな視点から綴られたかつての「被災地」の旅の記録が、本誌の巻頭を飾っている。

批評家と編集者は「車輪の両輪」

——宇野さんは、評論家としての活動のほか、批評誌『PLANETS』の編集長としても著名です。そもそもなぜ雑誌を創刊しようと思い立ったのですか。

【宇野】僕はもともと会社員サラリーマンをしていたのだけど、あるとき物書きをやってみたいと考えて、そのときに自分の能力を証明する必要があったんです。その手段として選んだのが批評の雑誌を自分で作ることだった。当時ははてなダイアリーを中心に文化系でもブログが盛り上がっていたのだけれど、当時すでにものすごく陰湿なムラ社会化が進んでいた。言ってみればいいものが書ける人ではなくて、潮目を読むのがうまく、徒党を組んでイジメる側に回る人が大きな顔をしている世界だった。

僕はそういうものに、はっきり言って軽蔑を感じていた。だからそういったものへの抵抗の意味も込めて、あくまで自分がおもしろいと思う書き手に声をかけていって2005年に『PLANETS』を創刊しました。

『モノノメ 創刊号』誌名の由来は春の季語の「物の芽」で、いろいろな植物の芽の総称で、「ものの目」という意味も。人の目のネットワークの中に閉じ込められてしまった現代の情報環境にあって、別の目から世界を観てみたいという思いが込められている。
『モノノメ 創刊号』:誌名の由来は春の季語の「物の芽」で、いろいろな植物の芽の総称で、「ものの目」という意味も。人の目のネットワークの中に閉じ込められてしまった現代の情報環境にあって、別の目から世界を観てみたいという思いが込められている。

僕のアイデンティティは、やはり物書きなんです。批評誌の創刊も、最初は手段でした。でもそれと同じくらい、メディアをつくること自体にも興味がありました。僕は自分で書くことと同じくらい、人に書いてもらったり人の文章を編集したりすることが好きなんです。

出版の仕事をすることは、物書きとしてのアドバンテージにもなっています。僕はそれこそ政治からサブカルチャーまで、さまざまな対象を批評していますが、それができるのは、本になる前の生の知見に触れられたことが大きい。まだ大学院生だったころの落合陽一さんにデビュー作(『魔法の世紀』PLANETS、2015年)を書いてもらったのは、その代表例かもしれない。

そうやって国内最先端の知見に触れることで、批評家として効率よく勉強ができた。批評家と編集者は、まさしく車輪の両輪です。僕は独立系メディアの編集者として15年以上やってきたことで、自分の批評的なエッジを確保してきた人間なんです。

かつてのサブカルチャーの位置にいまはITがある

——『PLANETS』はサブカルチャー批評誌として始まりました。一方、『モノノメ』創刊号の特集は「『都市』の再設定」。宇野さんの中で関心の変化があったのでしょうか。

【宇野】それはたぶん、僕ではなくて時代の変化だと思います。僕は、1970年代から90年代までの、サブカルチャーが先進国の社会で独特の位置を占めていた時代の文脈を引き継いでいるたぶん最後の書き手です。要するに、若者が革命で世界を変えるのではなく文化の力で世界の見え方を変えることを志向していた時代を知っている最後の世代だということです。