社会を変えるには「暮らし」を変えること
——次号以降の『モノノメ』では、どのようなテーマを扱っていきますか。
【宇野】一つは生活です。10年ほど前、「アラブの春」がまだ成功例として記憶されていたころ、インターネットが政治を変えることはポジティブな可能性として議論されていた。たしかに僕もそう考えていたのだけれど、その一方でそれだけではダメだとも思っていた。要するに、当時はインターネットがアーリーアダプターたちのサブカルチャーから一般層のライフスタイルとして定着していく段階の最後のフェーズだったわけですが、僕は文化が政治を変えるのではなく、文化がまず生活を変え、そこから政治を変えるという段階を踏まないといけないと指摘していました。
だから、当時からポスト戦後中流のライフスタイルに注目して取り上げていたのだけど、今回の『モノノメ』では、その延長で徹底的に「暮らし」から社会を考えています。それがないと、今僕が指摘したような空疎な相互評価と動員のゲームに巻き込まれてしまう。
「飲む以外のおとなの遊び」を東京から発信する
——「暮らし」から社会を考えるという試みについて、具体的に実践していることは。
【宇野】例えば、今回の特集「『都市』の再設定」で取り上げた「飲まない東京」プロジェクトは、その実践ですね。僕は政府の感染症対策の中で行われた見せしめ的な飲食店イジメにはもちろん反対だし、飲酒の文化そのものを否定するつもりはまったくないです。ただ、「大人の遊び」=「飲み会」というこの国の文化はちょっと貧しいと思うし、日本的な「飲みニケーション」文化もちょっと有害にすぎると思います。
有名な話かもしれないけれど、僕が昔関わっていた批評とか思想の世界って、本当に陰湿な飲み会政治がはびこっているんですよ。業界のボスみたいなやつが取り巻きを連れて飲み歩いて、取り巻きはボスの敵の悪口を言ってご機嫌を取って盛り上がる。それをネットで中継して、見ている人がそうだそうだと囃し立ててイジメの快楽を手にする。表面的には偉そうなこと言っていても、実態はそんなもんです。でも、昭和の古い体質やオヤジ的な文化が残る業界の「飲み会」ってそんなもんだと思うんですよ。