そこから先だと、市場に技術を投入することで世界を変えることが選ばれていた時代があって、それが今、再政治化しているというのが僕の判断なのですけれど、要するに、かつてのサブカルチャーの位置に、いまは情報技術とそれを応用したビジネスや政治がある。
僕はその変化に対して、サブカルチャーの灯を守る人になるのも、ITビジネス評論家になるのも嫌でした。そこで、サブカルチャー批評のある種のマイナーな視点から現代の情報社会を考えるということをはじめたわけです。その結果として2012年の『PLANETS』vol.8以降、サブカルチャー批評から総合誌路線へと舵を切りました。今回の『モノノメ』はその延長線上にあります。
「記事単位でしか読まれない」ウェブメディアの現実
——宇野さんが2020年に立ち上げたウェブメディア「遅いインターネット」からなぜ立て続けに、しかも紙媒体を創刊したのでしょう?
【宇野】「遅いインターネット」は、実はああいった硬めの、そして長い記事ばかりが並んでいるウェブマガジンの中ではけっこう読まれているんです。例えば、成田悠輔さんの「出島社会のすすめ──連帯ブランディングより幸福な分断を」や清水淳子さんの「視覚言語としてのグラフィックレコードが見せる世界」という論考は大きな反響がありました。
ただ、手ごたえがあった一方で、誤算もありました。読んだ人は「あの記事、おもしろかった」と言ってくれても、「『遅いインターネット』、おもしろいね」とはなかなか言ってくれない。つまり記事単位で読まれていて、メディアとしてそもそも意識されていなかったんです。
僕は個別の記事と同じくらい、いくつかの記事が並んでいるからこそ伝えられる世界観を大事にしています。しかし、今はメディアよりプラットフォームの力が圧倒的に強く、Webメディア事業者の多くはプラットフォームからお溢れ的にPV数をもらえればいいと考えている。僕はそういうゲームをやりたくなくて「遅いインターネット」を立ち上げたのに、記事単位でしか読まれない現実が壁として立ちはだかってしまった。
プラットフォームの外側に出て世界観を伝えるために、やはり物理的な媒体が持っている強制力——パラパラめくっているときに他の記事が目に入るといったシンプルな強さ——に、もう一回賭けてみたい。それが新雑誌を創刊した直接の動機です。