長生きはしたくない。でも、自殺はしない

私には、スポーツの「マスターズ大会」みたいなものに出る高齢者の気持ちはわからないし、それをことさらに持ち上げる風潮にもあまり共感しない。

老人のスポーツは本来、個々人ができる範囲で楽しめばよいものであり、大会出場をいちいちメディアで取り上げ、騒ぎ立てるほどのものではないように感じる。若者による最高峰のレベルの競技が存在する以上、「年寄りなのにすごい」ということでゲタを履かせてもらい、ちやほやされる老後を自分は送りたくないな、と思う。「目標を持つのは重要」とは言うものの、「この年になってまで“目標”を持てだなんて、勘弁してくれよ……」と言ってしまうことだろう。まあ、あくまでも個人的な価値観だが。

私は、自分に悔いが残らないくらいまで生きたら、他人の世話になることなくさっさと死にたい。少なくとも「100歳」まで生きたいとはまったく考えない。

とはいえ、どんなに長生きしてしまったとしても、自ら死ぬという選択は絶対にありえない。なぜなら、自殺で大事な人を失うことのつらさは、イヤと言うほどわかっているから。

【まとめ】今回の「俺がもっとも言いたいこと」
・「人生100年時代」を迎えるというが、その未来は決してバラ色ではない。
・「長生きしたい」と願うのも自由だが、「長生きしたくない」と望むのも自由。
・老いて劣化していく自分を冷静に見つめる姿勢も必要。
中川淳一郎(なかがわ・じゅんいちろう)
1973年東京都生まれ。ネットニュース編集者/PRプランナー。1997年一橋大学商学部卒業後、博報堂入社。博報堂ではCC局(現PR戦略局)に配属され、企業のPR業務に携わる。2001年に退社後、雑誌ライター、「TVブロス」編集者などを経て現在に至る。著書に『ウェブはバカと暇人のもの』『ネットのバカ』『ウェブでメシを食うということ』『バカざんまい』など多数。
(写真=iStock.com)
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