「“元カノ”の存在が、さらなる心労の種に」

そして、「いまになってみると、もしかしたら、眞子さまと飲食店の令嬢の交際期間が、重なっていたのかもしれません」と、意味ありげに付け加えるのだ。

よせばいいのにフライデーは、その令嬢の知人を探し出し、こういわせている。

「圭さんはICU時代に、留学を希望する学生向けの予備校で彼女(元カノ)と出会ったみたいです。交際期間がかぶっていたのかどうかは僕にもわかりませんが、かなり関係がこじれた末に別れた、という話は聞いています」

フライデーはおためごかしに、結婚が延期された眞子さんは、すっかりふさぎ込んでいるというが、「“元カノ”の存在が、さらなる心労の種にならなければいいが」と結んでいる。

恋愛に悩んでいる女性の前で、拡声器をもって「あんたの彼氏には元カノがいたぞ!」と叫んでいるのと同じだ。眞子さんだって、お前になんかいわれたくないと思うはずだ。

同様のことは女性セブン(3/22号)でも、小室家の知人の話として出ている。

「かわいさ余って憎さ百倍」ということわざがある。結婚しようと思ったこともある女性に裏切られたという恨みつらみから、週刊誌にベラベラしゃべっているのだろうが、大人としての常識に欠けるところがある人間だと思わざるを得ない。

また、週刊誌側が男性の示した私信メールを、ためらいもなく誌面に載せるというのも、私には解せない。

私信の公開はプライバシー侵害に当たるはずだ

週刊文春が、ベッキーと「ゲスの極み乙女」のボーカル川谷絵音が不倫していた時、2人のやりとりしているメールを誌面に載せたが、その時は、掲載するのに多少の戸惑いがあったように思う。

だが、今度の騒動では、各誌、ためらいが感じられないのだ。

私信については、「特定の相手だけに思想や感情を伝えることを目的としており、もともと公開を予定していないものであるから、その性質上当然に私生活に属する事柄であって、(中略)一般人の感受性を基準にすれば公開を欲しないものと解すべきである」。したがってプライバシー侵害に当たる(判例タイムズ926号207頁)はずである。

まさか、元婚約者と佳代さんの私的なやりとりが、公共的関心事であると考えているわけではあるまい。

これを出しても、小室家側から訴えられる心配はないと考えてのことだろうと推察するのだが、もう少し慎重であってほしいと思う。

なぜ一方的に非難する元婚約者の写真を載せないのか

某女性作家は、小室圭さんには「鈍感力」が備わっていると評している。けなしているのか褒めているのかはわからないが、いくら鈍感な人間でも、これだけ書かれ、世間から注視されている中で、平然と生きていくには若過ぎると思う。

こうした報道をするときは、温かさの中にいくらかの厳しさを混ぜるぐらいでいいのではないか。

私は、眞子さんと圭さんが、現代版ロミオとジュリエットになりはしないかと心配している。

今の報道の仕方を見ていて、小室家側のプライバシーには配慮しないで、元婚約者のプライバシーは守るというのも、私には不思議でならない。

写真誌はなぜ、小室圭さんの母親を一方的に非難する元婚約者の写真を撮って載せないのだろう。

どうだろう、陰に隠れて2人の恋路を邪魔するのではなく、元婚約者は、顔を出し実名で週刊誌に告白をすべきだと思うが、賢明なる読者諸兄姉はいかがお考えだろう。

(写真=時事通信フォト)
関連記事
だれが眞子さまと圭さんの破談を望むのか
眞子さまと圭さん、外野が騒ぐ必要はない
小室圭さんの恐るべき自己ブランド化戦略
絶対に笑ってはいけない平昌オリンピック
「軍歌を歌う幼稚園」で愛国心は育つのか