戦前世代は知っていた「教育勅語」の限界
国有地の取得問題などに関連し、大阪市の学校法人・森友学園の独特な教育に注目が集まっている。同法人が運営する幼稚園では、「君が代」や軍歌を歌い、「教育勅語」を暗唱し、天皇皇后の写真を飾っているというのである。
こうした「愛国教育」を賞賛するものもいないではない。だが、これで本当に愛国心が育めるのだろうか。
少し視野を広げて考えてみたい。明治維新以降、日本の教育は、世界の価値観を基軸にする普遍主義と、国内の価値観を基軸とする共同体主義とのバランスで成り立ってきた。
具体的には、日本は、欧米列強に追いつくため、欧米の思想や制度を積極的に取り入れ、近代的な人間を育成しようとした。その一方で、国民国家の統合を進めるため、日本という共同体の歴史と責任を担う国民を育成しようとした。
普遍主義に偏れば、根無し草の人間が生まれてしまうし、共同体主義に偏れば、視野狭窄の国粋主義者が生まれてしまう。この間でいかに理想の日本人像を作りあげるか。それがここ約150年間の日本の教育の課題だったのである。
話題の「教育勅語」も、この文脈のなかで考えなければならない。