すでに100年前には氏神信仰を説き直す必要があった。村田景治『神道講演集 第4編』(1916年)では、氏神信仰が遺産相続問題を防いでいることが論じられている。欧州では、夫婦2人が家族の基本単位であり、子供たちは成年に達すれば「蜂が子別れ」するようにそれぞれ家を持つ。その結果、親が亡くなれば、「遺産の襤褸(ぼろ)の一片」すら奪い合うという「獣心を発揮」する。これに対して日本では、祖先である氏神への信仰が子孫である「氏人」を束ねてきたため、親族間の争いがなかった。しかし、近年では、交通も発達して他郷へ移住する者が増えたため、「氏神にもあらず氏神に由緒なき神をも氏神として尊崇しまた信仰心からして氏神ならぬ神をも氏神と称する」ようになってしまったというのである。
山内豊道『氏神と氏子』(1909年)によれば、子孫である氏子氏人が氏神をまつるのは、「人間の自然の真心」のあらわれであり、氏神と氏人の関係は、寺と檀家、キリスト教会と信徒の関係とは異なる。なぜなら、寺や教会は信徒側が選択可能であり、いわば師匠と弟子の関係だ。しかし、氏神は選択不可能であり、まさに親子の関係だというのである。
そして鈴木武一(編)『改訂 氏神と氏子』(1915年)を見ると、氏神信仰も決して楽ではないことがわかる。氏子は、毎朝起きて洗顔を済ませたら氏神社に参詣し、日頃の神恩の拝謝に加え、国家安寧・家内安全を祈る。さらに毎月1日、11日、21日には必ず参拝する。この日に仕事などで遠くにいる場合には、氏神社の方にむかって遥拝(ようはい)する。
伊勢神宮は「国民の大氏神」?
鈴木によれば、伊勢神宮は「皇室の氏神」、つまり「国民の大氏神」だ。したがって、自家の氏神の崇敬は天皇の崇敬に行きつくのであり、小さな氏神の盛衰は最終的には国家存亡に関わるという。これら近代初期の氏神論を見るに、氏神は古くからの信仰というよりも、神道が国家制度として整備されるのに合わせて再編成されたものといえる。
土地や血族との結びつきがますます緩くなる現代において、本来の氏神信仰の復興は難しいだろう。たしかに、前述の近江源氏祭のようなイベントはいくつか存在する。第1回「全国鈴木サミット」が1998年に秋田県の鈴木三郎重家の末裔の家で行われた。和歌山県海南市の藤白神社は鈴木姓の発祥地とされ、第7回のサミットは同地で行われている。ほかにも全国五十嵐会、菊池の会、田中の会、楠木同族会、志岐氏サミット、全国目加田会、全国長南会のような集まりもある。しかし、これら同族会のすべてが神社を中心に開催されているわけではなく、氏神社と氏子の本来的な関係が現代において再構築されるケースはまれだろう。