流動化する現代社会における神社のあり方を考える際、1990年代に米国の宗教研究で提唱された「合理的選択理論」が参考になる。各宗教団体を救済財の売り手、信者を買い手と見なし、両者からなる宗教市場を経済学の観点からとらえようとした理論だ。この理論にしたがえば、より顧客のニーズにあった死後の世界のイメージや救済方法を提供する宗教団体は多くの信者を集め、説得力のない商品しかない宗教団体は倒産する。
ポイントは、宗教団体が売るのは普通の商品ではなく、そのため成長し続けるのが容易ではない点だ。たとえば、ある宗教団体の救済財が客のニーズをとらえ、多くの信者を獲得したとしよう。時とともに、この宗教団体はますます多くの信者を抱え、大企業のように社会的地位を確立する。だが、社会的に認知されたがゆえに問題が起こる。売っているのはこの世のものではない商品だ。社会的認知の高まりと共に、この宗教団体自体が現世的なイメージをまとい、救済財という非現世的な商品の売り手としての魅力が低下するのだ。その結果、新興の宗教団体の商品のほうが非現世的で魅力的に映り、次第にそちらに客を奪われるというのである。
「氏神」は“大企業”の形骸化した商品
合理的選択理論が描く宗教団体の盛衰は、一部では神社に当てはまるように思われる。1960年代末には、神社本庁が危機感をもって過密・過疎地域の氏子の実態調査を行っている。市街地では貸しビルが建てば氏子が減り、郊外のベッドタウンでは神社に対して旧住民と新住民の間に温度差があることが浮き彫りになった。
神道は業界最大手であり、その支店が全国に存在する。社会的認知が高いからこそ、その商品は自明視され、訴求力を失う。現在の住所に基づく氏神は、大企業の形骸化した商品ともいえる。それでも神社本庁にとっては大事な商品であり、それゆえに「自分の氏神を知りたい」という問い合わせにも答えている。だが本稿で記してきたとおり、そこでいわれる「氏神」は本来の意味からは離れてしまっている。したがって、「引っ越し先の氏神がわからない」などと不安になる必要は全然ないのだ。
北海道大学大学院 准教授。1979年、東京生まれ。筑波大学大学院修了。博士(文学)。専攻は宗教学と観光社会学。著書に『聖地と祈りの宗教社会学』(春風社)、『聖地巡礼―世界遺産からアニメの舞台まで』(中公新書)、『江戸東京の聖地を歩く』(ちくま新書)、『宗教と社会のフロンティア』(共編著、勁草書房)、『聖地巡礼ツーリズム』(共編著、弘文堂)、『東アジア観光学』(共編著、亜紀書房)など。