かつて氏神は、血縁集団の結束を象徴する存在だった。古代の豪族たちが一族の祖先をまつったことにさかのぼる。たとえば奈良県天理市にある石上神宮(いそのかみじんぐう)は、物部氏が氏神としてまつった神社とされる。氏神は血統の祖を神格化したもので、それを崇敬する氏子や氏人(うじびと)はその子孫なのである。

旅順攻略や殉死で知られる乃木希典は、自死の前日に遺言書をしたためた。その一節には次のようにある。

「父君祖父曾祖父君ノ遺書類ハ乃木家ノ歴史トモ云フヘキモノナル故厳ニ取纏メ真ニ不用ノ分ヲ除キ佐々木侯爵家又ハ佐々木神社ヘ永久無限ニ御預ケ申度候」

ここで乃木は、自家に伝わる文書類などを整理して、佐々木侯爵家あるいは佐々木神社で永久保管するように指示している。佐々木神社とは、滋賀県近江八幡市の沙沙貴神社のことだ。乃木は、日露戦争の報告など、折に触れて同社に参詣している。源氏の末裔を称していた乃木は、同社が自家の氏神だと信じていたからだ。沙沙貴神社は近江源氏の祖とされる宇多天皇をまつり、佐佐木源氏発祥の地とされているのだ。現在でも同社では、毎年10月に佐々木一族をしのぶ近江源氏祭が行われており、芳名帳には全国から来た「佐々木さん」の名前が並ぶ。

近世ですでに「土地神」との区別が消失

しかし中世頃には、氏神は産土(うぶすな)神や鎮守神といった土地神と交じり合い、近世にはそれらの区別はわからなくなったと思われる。したがって、それ以降、(1)の意味で語られる氏神はフィクションの産物といってよいだろう。

北海道の音更町(おとふけちょう)には、東士狩(ひがししかり)神社がある。由緒によれば、1899年、現在の富山県砺波市から来た移住者3人の夢に郷里の氏神が現れた。氏神は「この地より北海道へ移住せし者数多居り、吾も移り住みその地を守らん」と告げ、これをきっかけに砺波の鎮守の分霊がまつられた。

故郷への愛着が神社として表現された典型であり、氏神と鎮守が混同されていたことを示すエピソードだ。都市化や流動化が加速する近代以降、本来の意味での氏神を信仰するのは自家の系譜や土地によほどの強い愛着や帰属意識を持つ人に限られるだろう。