なぜ厄年は当たるのか。12月22日(金)発売の「プレジデント」(2024年1月12日号)の特集「運をつかむ習慣」より、記事の一部をお届けします――。
厄年
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厄年の由来は語呂合わせだった

厄年なんて迷信にすぎない――。かつての私はそう思っていました。ところが実際に経験してみて、ガラッと認識が変わりました。つまり、厄年は本当に存在するのではないかと思うようになったのです。こう言うと、「宗教学者」を名乗る人間が簡単に信じるなんて……とお叱りを受けそうですが、厄年を一概に否定できない理由があります。なぜ考え方が変わったのか。最初に私の体験をお話ししましょう。

1990年代前半、私は女子大で教鞭をとりながら、“文化人タレント”としてNHKの番組でサブキャスターを務めていました。収入も安定し、まさに順風満帆といった時期。ところが94年頃から異変が始まります。旧統一教会の霊感商法が社会問題化していた当時、私の発言が教会を擁護していると誤解され、批判を受けるように。ほどなくして、私が学生にオウム真理教への入信を勧めていたという根も葉もない怪文書まで出回り始めました。

そして翌95年3月、地下鉄サリン事件が発生すると、私が教団と結託していたかのような誤った報道により、抗議電話が殺到。結果的に、大学を辞職せざるをえなくなったのです。

当時は気づかなかったのですが、批判が集まり始めた年が「本厄」だった42歳、大学辞職が「後厄」の43歳でした。この悲劇を振り返って、私は厄年の存在を信じるようになったのです。

そもそも厄年とは災厄に見舞われやすい年を指します。地域や寺社によって異なりますが、一般的に数え年で男性は25、42歳、女性は19、33、37歳が本厄にあたります。男女ともに満61歳は厄年で、前年の60歳が「前厄」、翌年の62歳が「後厄」となり、実質的に3年間が“厄年”といわれます。「決まった年齢で一様に災厄が降りかかるなんて……」と思う人も多いでしょう。しかし、慣習は一朝一夕に生まれるものではなく、先人たちの知恵の蓄積といえます。厄年も現代まで受け継がれてきた「習俗」と考えると、軽視できない理由があるはずです。

PRESIDENT 2023年1.12号

12月22日(金)発売「プレジデント」(2023年1月12日号)の特集「運をつかむ習慣」では、本稿のほか、2024年を最高の一年にするための「運を上げる科学的習慣」に関する記事を満載しています。