技能継承から、開拓・創造へ
――半人前でも生活を楽しむことができて、大人としての責任を負わなくていいなら、こんなラクなことはないですね。
【若新】そうですね。一人前にならなくても、ぬるぬると暮らせる。でもこれは、モラトリアムに失敗していると言えます。
――だったら、「モラトリアムは早く脱したほうがいい」ということになりませんか?
【若新】モラトリアムの成功は、早く脱することではありません。その期間を、十分に活かして充実させる、ということだと思います。現代は、働き方や暮らし方も多様になり、社会の中で自分を確立する、ということが簡単ではありません。そして、早く確立できればいい、というものでもありません。
モラトリアム期間の意義は、時代と共に変わってきています。経済成長期には、一人前になるには「技能継承」が必要でした。つまり、親方や先生と呼ばれる人に弟子入りし、その技術や能力を上から継承することで、自分も一人前になれました。だから、大事な期間だけど、早く終えたい。
ところが、現代のように、社会のシステムが短く細かく変化するようになると、上の世代のモデルや技能をインストールしても、それでうまくいくとは限りません。ITサービスなどは代表例です。常に新しいものを模索し続けて、その時代に合った価値を自分たちで開拓・創造しないといけません。
つまり、モラトリアム期間に求められるものが、「上から教えてもらう」から「自分たちで探して創る」に大きく変わってきたのです。
そして、一人前になったつもりで「自分たちで探して創る」を辞めてしまうと、すぐに時代に取り残されてしまう。つまり、開拓と創造をし続けるために、一生ずっと半人前のつもりで模索する必要があるのです。
――だから、「一生モラトリアム」が必要なんですね?
【若新】幸い、現代の日本は、ちょっと仕事を休んだり、学生に戻ったりしても、すぐに食べられなくなって死ぬ、というほど厳しい環境ではありません。一生、新しいモノやコトにチャレンジし続けることもできるし、納得いくまで何度も勉強し、模索し続けることができるのです。むしろそうしないと、社会の中での自分の価値を見い出せなくなってしまうのだと思います。
精神的モラトリアムのすすめ
――少し前までは、特に大学の4年間がモラトリアム期間だと言われていました。いまは社会人になってからもモラトリアムを続けていいということでしょうか。
【若新】納得したつもりで就職しても、やってみたら「なんか違うな」というのはよくあると思うんです。社会人としてのアイデンティティは、すぐには確立しません。これは、現代においては、お金と同等か、それ以上の問題だと思うんです。そしたら、半人前であることを恥ずかしく思わず、もう一度学び直したり、新しい道を模索することが必要です。
同じところで長年耐えて修行することが美徳になっていますが、それは技術継承が重要だった時代の話です。自分の納得をつくりだせない人生は、悲惨です。
北欧などの社会保障が整備されている国、たとえばノルウェーやスウェーデンなどでは、多くの若者が、30歳くらいでようやく大卒と言われる年を迎えるそうです。さらに、高校を卒業してすぐに大学進学する人はほとんどいなくて、何年か仕事を模索的に経験してから、「これをもっと学びたいな」を見つけ、そこから大学に入るそうです。社会保障によって大学の学費が極めて安いために可能なことですが、納得できなければ、納得するまでやり直すそうです。
日本では、そこまでの社会保証はないため、「とりあえず大学には行け」と言われて、なんとなく進学する若者はたくさんいます。その状態で、たった4年のモラトリアムを充実させることはかなり困難です。社会人になってはじめて、仕事や生き方にリアルな疑問を持つことができ、何かを模索することができるようになるからです。
日本でも大学入学の時期はもっと遅くなってもいいし、企業も20代後半くらいまでは新卒枠を広げたほうがいいと思うのですが、なかなか環境は変わらないと思うので、まずは自分の中で「精神的モラトリアム」を続けることをおすすめします。
――そうはいっても、同期との競争も激しいなかで、モラトリアムなどやっている暇がない、と考える人も多いのではないでしょうか。
【若新】すべての人が、「一生モラトリアム」に生きなくてもいいと思います。早い段階で間違いなくコレだという職に就いた人や、競争社会で常に戦って勝ち続けたい人は、その道を選べばいい。精神的なモラトリアム期間の設定は自由なので、納得すれば早く終えることもできるし、ずっと続けてもいい。それが現代社会のいいところだと思います。