「復興だ。再建だ!」という思いに変化が
――復興の現状をどのようにご覧になっていますか?
復興をするためには、破壊された町をつくり直さないといけない。その地域に生まれ育ち、働き、やがては骨をうずめる覚悟の人たちが中心となり、町をつくっていくべきなのです。国が、政府が町をつくるわけではないのです。町をつくるための、たとえば、道路や橋は整備したとしても、町をつくるのにはそこに住む人たちの力が必要です。
震災で家をなくした人たちの住宅再建や災害公営住宅の建設は、岩手県では7割、宮城県では8割ほど終えています。その意味では、1つのステージに区切りがつきつつあるのではないか、と思います。
しかし、福島をはじめ宮城、岩手でも被災地を離れ、今はほかの地域で生活をしている方が多数おられます。住宅が再建されても、生まれ育った町に戻るとは限らないのです。家族構成が変わった方も少なくありません。震災前は、老夫婦が息子夫婦や孫たちと一緒に住んでいて、震災後、職を得るために息子夫婦や孫が被災地を離れた場合もあります。
6年も経つと、当時、小学1年だった孫が中学校に入るころです。息子夫婦も、新しく住み着いた地で職を得ているでしょう。これでは、住宅が再建されたからといって、被災地にすぐに戻ることはできないのかもしれません。
結局、被災地では、老夫婦のみで生活をしている家庭がたくさんあります。5年後も10年後も、息子夫婦たちが帰ってくるかどうかはわからない。今後、いずれは、この老夫婦たちもいなくなるでしょう。被災地は、今のままでは極端に言えば、ゴースト・タウンになることもありうるのです。
震災発災直後の、被災者の多くがもっていた「復興だ。再建だ!」という思いを私は知るだけに、この6年という時間が様々なものを変えてしまったのだと痛感しています。6年間はやはり、長い時間だったのです。
生業のことを考えると、今も「本格復興」とは言い難く、道半ばと言えます。三陸地域の基幹産業の1つは、漁業です。震災前から、第1次産業に従事する人の数は伸び悩んでいましたが、地域再生の望みや期待、希望ではあったのです。しかし、浜や港が津波などで大きな被害を受けてしまいました。不幸にも、漁業を離れざるを得なくなった方もおります。
新たな雇用の問題も生まれています。被災地では堤防や防潮堤をつくったり、高台へ移転したり、土地区画整理をしたりする工事に携わる方が多数おりました。工事は昨年(2016年)を境に、少しずつ減りつつあります。この作業に関わる方の雇用をどうするか、と考えていかないといけないのです。