東北沿岸で目撃される幽霊現象
深夜、駅で客待ちをしていたタクシーに、初夏なのに毛皮付きのコートを着た30代ぐらいの女性が乗ってきて、津波に襲われて震災後は放置されたままの地域の住所を告げた。不審に思ったドライバーが、「あそこは更地ですが、どうして?」と尋ねると、女性は急に震え声になって、「私、死んだんですか?」と聞いてきた。ドライバーが驚いて後部座席を振り返ると、そこには誰も乗っていなかった――。
深夜、タクシーが街を流していたら、小学生くらいの女の子が道端で手を挙げていた。8月というのに、コートにマフラーという真冬の格好。「お父さんやお母さんは」と尋ねると、「ひとりぼっちなの」と言う。迷子なのだろうと思い、家の住所を聞いて送っていくことにした。告げられた住所で車を止めると、女の子は「おじちゃんありがとう」と言って車を降りたが、次の瞬間にフッと消えてしまった――。
東日本大震災後、津波被害を受けた東北の沿岸各地で、幽霊現象が目撃されている。とりわけ特徴的なのがタクシーで、少なくない数のドライバーが、「幽霊を客として乗せ、会話もした」と調査者に語っている。その証言は具体的で、なかには実際には客が乗っていなかったのに、メーターを倒して走行した運行記録が残されているケースもあった。
強いリアリティを持つこれらの証言は、私が編著者を務め、今年1月に上梓した論文集『呼び覚まされる霊性の震災学』(新曜社)に収められている。この論文集は「震災の当事者たちは、死者に対してどう向き合ってきたか」をテーマに、私の指導する学生たちが行ったフィールドワークの結果をまとめたものである。私はこうした調査の試みを、「意識の古層にあった死が呼び覚まされる、『霊性』の震災学」と名づけた。
私が「震災学」を思い立った原点は、阪神・淡路大震災と東日本大震災という、過去半世紀の間に日本で最も多くの死者を出した震災の両方を、自ら現地で体験したことにある。
阪神・淡路大震災が起きた1995年1月、私は大学受験を直前に控えた受験生だった。その年、私は大学の社会学部に入学し、社会心理学の講義では震災体験の実例が取り上げられた。しかしその実例とは、直前に起きた阪神・淡路大震災ではなく、数十年前の新潟地震のケースだった。
なぜ目の前で起きた震災を取り上げようとしないのか。その疑問から、「災害とは何か」を考えるようになった私は、仙台にキャンパスを置く東北学院大学に赴任。この地で東日本大震災を体験することになった。
震災から1週間後、私はゼミの学生たちに「この震災の記録を後世に残さなくてはならない」と伝え、被災者の方々にお願いし、経験した出来事を自ら書き綴ってもらうことで、人の目から見た震災を記録する作業を始めた。集まった貴重な証言は後日、『3・11慟哭の記録』(新曜社)として上梓されることになった。
集められた文章が実際に書かれたのは、震災後3カ月から6カ月の間である。ほとんど時間を置いていないだけに証言は生々しく、被災地には今も、「この本は痛々しくて読めない」という方が大勢いる。