私が社会に貢献しようと考えた理由

前回も書いたように、私は社会に貢献したくて医師になったのですが、いまのように、医療面だけではなく社会全体に貢献したいと考えたのは、ある占い師との出会いがきっかけでした。厄年を迎えた42歳の頃、手術に出向いた病院の外来で、初老の女性に、「よくない相が出ている。私の占いはよく当たるのよ。占ってあげる」と話しかけられたのです。別の科から心臓に問題があるとして紹介された患者さんで、占いの先生だということでした。

求められるままに私が生年月日と生まれた時間を告げたところ、「このままだとあなたの命は2~3年以内ですよ」と、いきなり言い出だしたのです。私は、占いや運勢といった非科学的なものを信じるような人間ではないのですが、その少し前に、尿管結石で七転八倒の苦しみを味わい、生まれて初めての入院をしたのをきっかけに、心身のバランスが崩れているのを実感していました。そのときには新東京病院(千葉県松戸市)で心臓血管外科部長を務めていて、病院の年間手術件数は493例と、恐らく国内で成人の心臓手術だけを行う施設としては日本一になっていました。そのほとんどを私が執刀し、傍目には順風満帆に見えていたと思います。

しかし、体の悲鳴が聞こえ、内心不安を感じ始めていたのも事実です。思わず、どうしたらよいのか聞くと、「できるだけ多くの人にいろいろな方法で貢献しなさい。多くの人のためになることをするとどんどん徳がつく。時間を作って、もっとよいことをしなさい」とアドバイスされたのです。

確かに、思い当たるふしがありました。心臓外科医としては精一杯やっていましたが、忙しさのあまり、講演や原稿の依頼はほとんど断っていました。心の余裕がなく、一緒に働いているスタッフとの間に摩擦が起きたこともあります。

占い師の指摘は、私の行動と考え方を見直すきっかけになりました。それからは、患者さんの診察や手術だけではなく、日常生活でも人に喜ばれることをし、社会に貢献しようと努力しました。どんなに多忙でも、講演や原稿、取材、テレビ出演などの依頼はできる限り断らないようにしていますし、電車に乗ったときにはお年寄りに席を譲り、贈り物をもらったら周囲の人にお裾分けするようにしています。私に助言をしてくれた占い師の患者さんは、その後、亡くなってしまいましたが、私のターニングポイントになった出会いであり、いまでも感謝しています。

天野 篤(あまの・あつし)
順天堂大学病院副院長・心臓血管外科教授
1955年埼玉県生まれ。83年日本大学医学部卒業。新東京病院心臓血管外科部長、昭和大学横浜市北部病院循環器センター長・教授などを経て、2002年より現職。冠動脈オフポンプ・バイパス手術の第一人者であり、12年2月、天皇陛下の心臓手術を執刀。著書に『最新よくわかる心臓病』(誠文堂新光社)、『一途一心、命をつなぐ』(飛鳥新社)、『熱く生きる 赤本 覚悟を持て編』『熱く生きる 青本 道を究めろ編』(セブン&アイ出版)など。
(構成=福島安紀 撮影=的野弘路)
関連記事
高齢化社会の最大リスク「介護」にどう備えるか
東京の高齢化にどう備えればいいか
幸福度日本一、福井県の地方創生とは?
産みたい女性にとって、日本企業はみんなブラックである
人手不足は少子化の問題にあらず