1985年5月8日、当時の西ドイツ大統領、リヒャルト・フォン・ヴァイツゼッカーは、ナチスドイツが第2次世界大戦に敗北して40年を迎えたこの日、連邦議会で演説を行った。そこでの「過去に目を閉ざす者は、現在に対しても盲目となります」という言葉は、日本でもよく知られている。
ここで言う「過去」とは何よりも、ユダヤ人の大虐殺(ホロコースト)だった。この事実に対し、ヴァイツゼッカーは自国民に向けて「罪の有無、老幼いずれを問わず、われわれ全員が(中略)過去に対する責任を背負わされている」と断じている。
では、どのような形で責任をとるべきなのか。ここでヴァイツゼッカーが強調したのが、心に刻むことであり、そして過去を直視することであった。「非人間的な行為を心に刻もうとしない者は、またそうした危険に陥りやすい」からだ。「過去に目を閉ざす者は~」という言葉は、ヴァルター・ベンヤミンのエッセイ「歴史の概念について」(1940年。『ボードレール』岩波文庫などに所収)に出てくる、天使の話を彷彿させる。ベンヤミンはドイツで生まれ育ちながら、ユダヤ人ゆえナチスの台頭とともに亡命し、その途上で自ら命を絶った思想家だ。
くだんのエッセイのなかでベンヤミンは、パウル・クレーの絵画「新しい天使」について、「かれ(天使)の眼は大きく見ひらかれていて、口はひらき、翼は拡げられている。歴史の天使とはこのような様子であるに違いない。かれは顔を過去に向けている。ぼくらであれば事件の連鎖を眺めるところに、かれはただカタストローフのみを見る」と書いている。
死者を目覚めさせ、廃墟を再生しようとする天使だが、楽園から吹いてくる強風に、なすすべもないまま、自分が背中を向けている未来のほうへ運ばれてゆく。その強風を、ベンヤミンは「進歩」と呼んだ。
この一文はきわめて抽象的ではあるが、第2次大戦の悲劇を振り返れば、厳しい警句として読める。またヴァイツゼッカーの言葉の重さもあらためて実感できる。
未来へ進むには、まず過去を直視せねばならない。使いやすい言葉ではあるものの、それを口にするには、直視すべき過去について具体的に知り、イメージする必要がありそうだ。