大平正芳については、話の間に「アーウー」という語が挟まることが揶揄されたりと、訥弁というイメージが強い。だが一方で、「アーウー」を抜いて文字に起こせば、彼の演説がいかに理路整然と組み立てられているかがわかるとの評もあった。
大平は田中角栄内閣の外相を務めていた1973年、第1次石油危機直後の講演で、「本来、歴史というものは(中略)最終的解決なるものはないのであって、暫定的解決を無限に続けていくのが歴史だと思うのであります」と語った。「最終的解決はない」とは、石油危機を引き起こしたアラブ諸国とイスラエルの対立に関する発言だが、一見すると政治家として頼りなさげにも思える。しかし、これは大平なりの哲学から出た言葉だった。
大平は「永遠の今」という言葉を座右の銘とした。これは哲学者の田辺元が1939年に行った講演をまとめた『歴史的現実』(筑摩書房版全集・第8巻所収)に由来する。
田辺は時間を、川のように一方向に流れてゆくものとはとらえなかった。過去は過ぎ去っていまは「ない」ものであるとともに、現在のなかで働いている。同様に未来も、いまは「ない」が、現在の私の働きによって「ある」ようになる。すなわち、過去も未来もあらゆる時が成立するのが現在であり、それゆえ現在は永遠なのだと、田辺は考えたのである。
大平の講演での「暫定的解決を無限に続けていくのが歴史」という言葉も、田辺哲学から、過去も未来も現在の働きしだいだと学んだ彼ならではのものだった。
大平は先の講演の終わりがけで、石油危機を受けて、「展望ははっきりしないが、これが確かに単なる一時的な現象でなく、長期の問題である。もう再び豊かな時代にかえるすべもないのではないか、ということを前提にいたしまして、家庭においても、職場においても、あるいは国といたしましても、もう一度考え直す」必要があると訴えている。これなど、震災と原発事故を経た現在でも十分通じるはずだ。
けっして雄弁ではなく、派手なパフォーマンスとも無縁だった大平のスピーチは、国民を導くというよりも、むしろ指導者と国民がともに考えることを促すものであった。しかもその内容には、語られた当時以上に、21世紀の現在に向けられているところが少なくない。独特の哲学に裏打ちされたスピーチは、時代をも超えるという好例である。