村上春樹はなぜ1995年に着目するか
同じ変化ということでは、ピリングは村上春樹へのインタビュー談話を紹介しつつ、戦後日本にとって大きな曲がり角となった95年について詳しく言及している。村上は長く日本を離れているばかりか、日本のマスコミを嫌い、その談話がメディアに掲載されることがほとんどないだけに、貴重なコメントだ。
ベルリンの壁が消滅した90年でも、昭和天皇が崩御し、バブルが崩壊した89年でもなく、はたまた第一次オイルショックが起きた73年でもなくて、なぜ95年が重要なのか。
阪神・淡路大震災と、オウム真理教による地下鉄サリン事件が起きたからだ。村上によれば、前者は近代的な都市風景を破壊し、日本が保有しているとされてきた高度な技術力への信頼を喪失せしめた。一方の後者は狂信的カルト集団による前代未聞の同時多発テロであり、日本人が調和を好み、どんなときでも同じ方向を向いて一致団結する民族であるという幻想を打ち砕いた。村上は95年を「戦後日本の奇跡的な成長神話が終わった年」と位置付ける。
興味深いのは、村上が「被害者=正義」「加害者=悪」という図式でオウム事件を断罪することに反対し、経済的豊かさがすべてにまさる善だという、これまでの「システム」に対する反発としてオウム事件を捉え、彼ら自身、自分たちが「善」と考える新しいシステムに加わろうとしたという、オウム擁護とも捉えられる発言をしていることだ。
なぜそんな考えを持つようになったのかも、この本で明かされる。村上は80年代のバブル景気に沸く日本が大嫌いで、海外に渡ってしまったのだ。そんな村上にとって、バブル崩壊後の日本は10年前より健全になった感触があるという。こんな彼の発言が紹介される。
<当時、日本は自らの正しさを確信していました。でも今の私たちはもっと冷静で、『私とは何だろう』とか、『私たちとは何だろう』などと自問するようになっています。これはきっと良い兆候なのです。日本の歴史にはこれまでもそういうことがありました。日本が経済的にも精神的にも回復するのは時間の問題だと思います>