脳裏を駆けめぐった4つの采配
瞬時、4つの方法が脳裏を駆けめぐった。(1)スクイズ、(2)ウェイティング、(3)ヒッティング、(4)ヒットエンドラン。
これらのうち、スクイズが最良に思えた。
「スクイズに決めたのは、サードランナーが藤瀬だったこと。バットに当たって転がりさえすれば、セーフになる。たとえ投手の正面に転がったとしても、動作が鈍い江夏なら、十分間に合う。試合はタイになる」
足の速い藤瀬と動作の緩慢な江夏。そのふたつから導き出された結論がスクイズであった、西本の決断がまちがっていたとはいえまい。まさか江夏が次の1球をはずすとは夢にも思わなかったのだから。
西本は三塁コーチャーの仰木にスクイズのサインを送った直後、苦い過去が甦る。
「おれはかつて大毎の監督として、大洋との日本シリーズ(1960年)でスクイズを失敗し、クビを切られている。もし、今度も失敗すれば、その二の舞になると思った」
西本は意識しなかったが、スクイズのサインを出した場面は、19年前と同じ。1点リードされての一死満塁で、2球目だった。運命のいたずらというしかなかった。
1960年の日本シリーズは、新人監督の西本が大毎オリオンズを率い、名将・三原脩の大洋ホエールズと対戦した。大毎は田宮健次郎、榎本喜八、山内一弘らがクリーンアップを形成し、凄まじい破壊力から“ミサイル打線”と呼ばれていた。
問題のスクイズは、川崎球場で行われた第2戦。大毎が2対3と1点リードされて迎えた8回表、一死満塁という場面だった。
5番・谷本稔(捕手。八幡浜高卒)が右打席に入ると、三原はサウスポーの権藤正利に代え、サイドスローの右腕、秋山登を送った。
<谷本はミートのうまい好打者だが、私は秋山のシンカーがどうも気になった。ひとまずタイに持ち込めば、追う側の強みを発揮できるとふんで、スクイズのサインを出した>(『私の履歴書 プロ野球伝説の名将』)
秋山が投じた球を、谷本はベースに覆いかぶさるようにしてバットを出した。勢いを殺した絶妙のバントに見えたが、ボールはホームベースのわずか1メートル先で止まった。
大洋の捕手、土井淳は止まったボールを急いでつかみ、本塁に突入してきた三塁走者の田宮にタッチ。すぐさま一塁へ送球し、併殺になった。土井はスクイズを全く予期していなかった。満塁だからホームベースを踏み、一塁へ送球すればよかったのだが、タッチしにいったのを見ても、そのことがわかる。
結局、第2戦は2対3のまま終了し、大毎が敗れた。西本にとっては痛恨のスクイズ失敗だった。