6つの異文化も「多様性」の尊重で
だが、正しいと思うから、取り下げない。政策株を持つことは、過去には業容の拡大に意味もあったが、今後も同じかと言えば、違う。それよりも、いろいろ知恵を出す提案力がなければ、相手にしてもらえない時代だ。そう諄々と説き、相手との間合いを詰めていく。やがて、一緒に削減案を考える機運が生まれた。
「毀言日至」(毀言、日に至る)――あなたへの悪評が、毎日のように聞こえてくる。でも、あなたがへつらうことなく、正しいことを貫いたために言われる悪口だから、心配することはない、との意味だ。中国の正史の教科書とされる『十八史略』にある言葉で、いくら社内で悪く言われても、会社や社員ら全体のために正しいと信じることをやり通す櫻田流は、この教えと重なる。
1956年2月、東京都杉並区で生まれる。父はサラリーマンで、妹が1人。都立石神井高校から早大商学部へ進み、78年4月に安田火災に入社する。海損部貨物第2課に配属され、自動車の輸出などに付ける海上保険の業務に就く。地味な部署だが、「保険の原点」の世界。勉強家の先輩が毎朝、英国の海上保険法の勉強会を開いてくれて、英文の契約書を書けるまでになる。
5年たって本店営業第10部へ異動し、その後、組合の専従役員を務めた。慢性的な長時間残業を減らすため、毎日の就業時間を少し延長し、代わりに夏休みを増やす交渉をまとめる。3年で国際金融部に復職し、アジア開銀へ転出した。
2010年7月、54歳で損保ジャパンの社長に就任。40代後半から10年間、2度にわたる合併の推進役を務めた後だ。その推移は次号で触れるが、最初の日産火災海上保険との合併で誕生したのが損保ジャパン。2度目の日本興亜損害保険との持ち株会社「NKSJホールディングス」設立による経営統合を、実現させた直後の社長就任だ。
このとき、社内報のインタビューに「損保会社だったということを忘れられるくらいに、変わりたい」と答えた。グループには、他社にはない強みが必要で、もしもないのであれば、つくっていく。それには、青臭くても、みんなでとことん議論しよう、との呼びかけだ。答えは、固まりつつある。「健康」や「安心・安全」の分野のサービスだ。
すでに、事業の組み合わせを変え始めたが、全体像を明確に打ち出すのは、2015年度に発表する次の中期経営計画になる。これからの事業の実現に、いま何をしておくべきかを書き込むつもりで、変化が急な時代、これまでの計画のような5年計画よりは短くなりそうだ。
今年9月1日、持ち株会社の下に併存する日本興亜と合併し、損害保険ジャパン日本興亜が発足する。約3万人、収入保険料2兆円規模で、損保単体としては国内トップ。元をたどれば、異なる6つの企業ですごし、6通りの企業文化や行動様式が混在することになる。だけど、むしろそういう多様性がなければいけないと、いつも言っている。
価値観や行動様式が一つになった「金太郎飴」の組織は、一丸となって突進するときは強くても、揺れや横風、つまり変化にはもろい。しかも、正しいと思っても、異論を口にしにくい。そんな多様性を認めない組織で、上司に「お言葉ですが」と言えば、嫌われる。でも、「毀言日至」など、恐れるに足りぬ。自由に物を言える社内にすることも、トップの責任だ。