合併は通過点にすぎない

櫻田謙悟・損保ジャパン日本興亜ホールディングス社長

9月1日、東京・新宿の本社ビル43階で、損保ジャパン日本興亜の発足式を執り行った。損保ジャパンと日本興亜損保の合併により、正味収入保険料(14年3月期合算)は2兆円強となり、単体としては国内トップの損害保険会社が誕生した。私は、式典の挨拶で「グループとして未来志向で歩み続けることが、成長への唯一無二の道だと信じている。保険事業を軸としながら、サービス産業へ進化していくことで顧客に貢献していきたい」と話させてもらった。

ただし、成長戦略の中では、この合併は「通過点」に過ぎないと思っている。

現在の中期経営計画で定める利益目標を達成したとしても、アリアンツなどのグローバルプレーヤーと「伍していくグループ」の実現には課題が多く残っており、山登りにたとえれば、まだ5合目でしかないだろう。とはいえ、国内で2000万人を超える数のお客さまを持っていることは大きな競争優位の源泉となる。この優位性を生かし、新体制のもと、過去に例を見ない損害保険グループを作りだしたい。

損保同士の合併・統合は、1996年の日本版金融ビッグバンをきっかけに押し寄せたグローバル化の波に端を発する。その頃、私は2000年に統合企画部長を拝命していて、まさに合併・統合作業の渦中にいた。ここで手がけていたのが、安田火災海上と日産火災海上、大成火災海上との合併計画だった。

ところが翌01年9月11日、ニューヨークの世界貿易センタービルを一瞬にして崩壊させた同時多発テロが起き、大成火災は航空再保険の損失で破綻してしまう。合併計画は再検討を余儀なくされた。それでも、前に進む以外の選択はなかった。安田火災と日産火災の2社合併を先行させる戦略に舵を切った。こうして、02年に損保ジャパンができ、その後、大成火災が合流した。

そして損害保険事業を取り巻く環境が激化する中、10年4月、損保ジャパンと日本興亜損保の経営統合により持ち株会社を設立し、今回傘下の2社を合併させることで損保ジャパン日本興亜が誕生した。現在、損害保険業界は大きく3グループに集約され、大競争時代に突入している。