道路の渋滞のため到着が遅れ、最後の宿泊客のチェックインが済んだのが明け方の4時。ハイになっていたせいで眠気を感じなかったという山本も、1時間ほど仮眠を取った。自宅に帰れなかったのは、ホテルのスタッフも同じだった。
翌朝6時30分には水とパンを再度配布したほか、宴会場で温かい野菜スープを振る舞った。7時すぎにJRが運行を一部再開。午前11時頃ロビーにいた帰宅困難者が全員いなくなったとき、ようやく山本は胸をなで下ろした。
だが話はそれだけでは終わらない。ロビーで一夜を明かした人々から、お礼の電話や手紙がひっきりなしに届き出したのである。
「われわれとしては当たり前のことをしただけ。お手紙をいただくなんて、恐縮してしまって」と山本は語る。どの手紙にも、感謝の言葉が切々と綴られていた。
いわく、“寒かったから室内にいられるだけでもありがたかったのに、お水や食料まで差し入れしてもらった”“近隣の外資系ホテルではドアを開けてもくれなかったのに、毛布を貸してくれたばかりか、毛布の数が足りなくなったら大判のバスタオルを出してきてくれた”“携帯電話の電池が切れて途方に暮れていたとき、フロントで充電してくれたおかげで家族と連絡が取れた”……。
2000人の中には、ホテルとは無関係な、いわば通りすがりの人々も多かったはずである。にもかかわらず、分け隔てなく水や保存食を提供した。
実は帝国ホテルでは1923年の関東大震災のときも、避難してきた人々におにぎりなどの食料を提供している。山本にこのエピソードについて聞いてみると、「そういうDNAがあるわけではないんですが……」と謙遜しつつこう言った。
「困っているお客様がいれば、どうしてもお助けしたくなってしまう。なんとかしてお客様のお役に立ちたいというホテルマンの使命感は受け継がれているかもしれません」
(文中敬称略)
1956年、東京都生まれ。80年学習院大学卒業後、帝国ホテル入社。宿泊部、営業部、帝国ホテル大阪営業部等を経て、2008年より宿泊部次長兼接遇課長。デューティマネージャーは30年以上の経験を求められる職務という。