「困っている人がいると、お助けしたくなる」
午後2時46分の地震発生からわずか4分後の2時50分には、総支配人を責任者とした現場指揮所を1階ロビーのフロント裏に設置。館内放送で従業員に対して状況確認を命じる。安全確認後は、お客に向けて「余震があるので、次の放送があるまでその場で待機してください」と英語と日本語の両方で指示した。地震発生から14分後の3時には社長を本部長とした災害対策本部を設置し、3時30分にはホームページで「ホテル内での怪我人なし」と発表している。
ロビーに続々と人が集まってきたのはその頃からだった。予約客がチェックインしようとしてもエレベーターが停止したままなので、ロビーで待っていてもらうしかない。その一方で、上階にいた人々は不安を感じて非常階段を使って下りてくる。予定されていた宴席の招待客も、単なる通りすがりの人々も入ってくる。そんな中、山本はロビーで立ちつくす人々のために椅子を200脚用意し、タオルと氷の入った水を提供した。
「この日だけ、特別にそうしたというわけではないんです。たまに何らかの理由でエレベーターが止まることがあるのですが、そんなときはいつも復旧までそうしていたので、この日も同じようにしただけ」
帰宅難民に対してロビーを開放したのも、自然な流れだったと山本は振り返る。
「私がそうしようと決めて宣言したというより、スタッフが、『椅子をご用意しますか?』『お水をお配りしますか?』と聞いてくる。その都度『はい、お願いします』と許可していきました」
その後は無我夢中だった。ホテルはほぼ通常どおり営業を続けるかたわら、情報を求める人々のためにテレビを見やすい場所に設置し、電車の運行状況など新しい情報が入るたびに拡声器で案内するなどの対応を続けた。
日が暮れて気温が下がってくると、ロビーはおろか、地下のショッピングアーケードから2階の宴会場まで、人で埋め尽くされた。JRが止まったままの中、私鉄や地下鉄は順次運行を再開していたが、「いつ止まるかわからない電車に乗るより、ここで一夜を明かしたほうが安全」と判断した人が多かったのだろう。絨毯敷きの床で毛布にくるまってごろ寝する人たちの数は、ピーク時には2000人を数えた。