特にパイロットは専門的な職業のため再就職は難しく、僕が知っている限り過去日本航空から他社に移ったのはわずか十数人だけです。そういう状況で、リストラされたあと明日からどうやって生活していけばいいのか、という切実な問題が起きました。しかし、僕たちが仲間のためにできることは、再就職の情報を求めて世界の航空会社を回ることぐらいです。そして、外国の航空会社にお願いし、再就職の年齢制限など採用の条件や資格を、うちの退職するパイロットに合わせて変えてくれるよう交渉したり、条件は変わらなくても採否の判断は人物を見てからにしてほしいとお願いしました。また、採用を実施している航空会社の情報を全員が見られるようホームページを立ち上げ、再就職の相談担当者を配置するなどのサポートをしてきました。

運航本部長という立場上、会社の詳しい情報を知っているので、「自分はリストラの対象なのか」と聞かれることもありましたが、僕が知りえている情報は同期であっても話すわけにはいきません。その代わりに新聞記事、組合や会社の出している情報など、公開されているものを時系列で並べ説明をしました。会社に残るのは年齢の点で難しいことを暗に示し、今後のことは自分で考えて判断してほしいと話しました。僕と同年代の人たちは年齢の問題に目を向け、次の職を探すために動きだしました。

日本航空には、僕の航空大学時代からの同期が15人いました。お互いまだ10代の頃から40年間の苦楽を共にしてきた同志です。しかし、今も会社に残っているのは、最新鋭機787の運航乗員部部長と僕の2人だけです。残りの13人は全員が辞めていきましたが、彼らに僕からかけられる言葉はありませんでした。「まだ飛びたい」と望んだ人は、東欧や南米など世界各地の航空会社に再就職し操縦桿を握っています。ただ、「これを望んでいたわけではないよ。本当は家族と共に日本に残って、大好きな日本航空で定年まで飛びたかった」と言う人もいて、その気持ちは胸に突き刺さりました。