リストラする論理、される側の気持ち
12年1月、稲盛和夫会長(当時)から「社長になりなさい」と言われたときは、有無を言わせぬ迫力がありました。そのとき、「無私」、つまり自分の都合や感情を捨てて会社と社員のことだけを考えられるのかを己に問い直し、「やらせていただきます」とその場でお受けしました。
僕は高校を卒業後、パイロットに憧れて航空大学に入り日本航空に入社しました。パイロットの仕事を心から誇りに思い、「自分の一生の仕事」と決めておりましたので、2010年2月にパイロットをやめて運航本部長にならないかとオファーをいただいたときは「役員をお受けするか、会社を辞めパイロットを続けるか」で3日間悩みました。
当時の日本航空は破綻直後で、法的整理によるイメージ悪化等により年間数百億円の顧客が同業他社に流出し、「2次破綻必至」と盛んに騒がれているときでした。先が全く見えず社員全員が苦しんでいるのに、「パイロットを続けたい」という己の都合だけで会社を去るのは卑怯な気がして、「操縦桿をおこう。会社を2度と破綻させないこと、それを次の人生の目標にしよう」と決意し、運航本部長を引き受けたのです。
会社が法的整理になったということは大変厳しい合理化策を実施しなくてはなりません。覚悟はしていましたが、会社を存続させるため大規模な人員削減を含めたリストラが必要で、4万8000人の社員の3分の1にあたる1万6000人に辞めていただくことになりました。しかしながら、「1万6000人に辞めていただく」というのは、会社に残る我々3万2000人側の論理です。
辞めていかなくてはならない方々から見れば、「リストラの必要性はわかるけれども、こんなに一生懸命会社に尽くしてきたのに、どうして私なんだ」という思いを抱くのは当然です。それに対し、「あなたのしている仕事は……」などと答えられる正解はありません。お辞めいただく対象者を決めるルールをつくり、「あなたがその中に入りました」と伝えるほかはありません。後は、ただひたすらお願いをし、理解を求める以外にありませんが、どこまでいっても理解は得られなかったのではとの思いが残ります。