仲間の力を借り、悲願の製品化を達成
いざ現場に入ると、高卒の先輩社員は「大卒社員は珍しい」と温かく迎えてくれた。一緒に額に汗していると、彼らが何を考え、会社や上司にどんな気持ちでいるのかわかってきた。1年後から任され始めた生産計画の仕事では、管理のイロハを工場長から徹底的に仕込まれた。
次第に実質的な工場長代理の立場になっていくなかで、川田は『黄金律』を何度も繰り返し読んだ。そして、「この会社をよくしていきたい」「会社を変えたい」という思いを強く抱くようになる。
結局、5年半に及んだ勝見工場の勤務だったが、川田は「現場を知り、現場との接点を持てたことは、私にとって大きな財産になった。たとえば財務部門はエリートコースの1つだったが、委託賃加工業の会社に在庫など存在せず、仕事はあってなきがごとしの状態。それでは真の意味でのキャリアを積めない。私にとって工場勤務は、まさに幸運な出来事だった。それを痛感するのが、次に配属された営業でのこと」と話す。
実際の営業の仕事は、発注元の繊維メーカーに「何かありませんか」と御用聞きに回り、それを工場に伝えるだけ。川田は「単なるメッセンジャーボーイじゃないか」と上司に食ってかかる。手に負えない部下だと判断されたのだろう、しばらくして川田は営業開発に回された。
「営業開発といえば聞こえはいいが、メンバーは4人しかいない。会社から『何をやってもいいし、やらなくてもいい』と宣告されていた“窓際”の部署だった」と川田はいう。時を同じくして発表された人事で同期が全員課長に昇進するなか、川田だけが係長に留め置かれた。でも、羨ましいとも、恥ずかしいとも思わなかった。「能力を評価されているわけではない」とわかっていたからである。
同じ営業開発のメンバー3人も、「会社をよくしていきたい」と思い、上司に苦言を呈してきた人間たちだった。「一丁やってやろう」と一致団結した川田たちは、「独自の最終製品づくり」を目標に、傘に張る生地などを手がけていく。