割れ窓から雪が入り、食事は腐った「もやし」

<strong>雪国まいたけ社長 大平喜信</strong>●1948年、新潟県生まれ。中学校を卒業後、川崎市の工務店や南魚沼市の工場などで働く。75年大平もやし店創業。82年まいたけ栽培を開始。83年雪国まいたけ設立。94年新潟証券取引所、2000年東証二部上場。2011年3月期の連結売上高は265億円。
雪国まいたけ社長 
大平喜信氏

一度、本気で死を覚悟してしまうと、死以外のことはストレスでなくなる。どんな逆境に遭遇しても、怖くなくなる。嘘だと思う人は、試してみるといい。

雪国まいたけを創業する前、私はもやし屋をやっていた。当時としては珍しい「太もやし」の栽培に挑戦していたが、試行錯誤の連続で、資金はたちまち底をついた。6畳ひと間に家族4人、腐ったもやしと腐ったバナナを分けあって食べる日々。真冬に窓ガラスが割れても修理する金さえなく、ござで塞いで寝たら、翌朝、家族全員の顔に雪が積もっていたこともあった。

田舎の村のことである。もしも事業に失敗したら、「中卒の貧農の長男が事業なんかに手を出すからだ」と末代まで物笑いの種にされる。かといって一家心中をすれば、親戚じゅうに迷惑がかかる。

私は、家族4人でトラックに乗って崖から転落すれば心中ではなく事故死に見えると考えて、転落に最適な崖を探しに行った。そして、失敗したらこの崖から谷底に突っ込むのだと決心したとき、死以外のすべてが怖くなくなってしまったのである。以来、どれほど大胆な決断をしても平気になったし、異様に活力が湧き上がってくるようになったのである。

雪国まいたけを創業した当時(昭和57年)、きのこ産業は「3K職場」だと思われており、最大の難問はパートタイマーを集めることだった。しかも、せっかく雇ったパートさんがちゃんと働いてくれない。1時間でできる仕事に倍の2時間もかけている。困ったものであった。

なぜ、パートさんは一所懸命に働こうとしないのか。なぜ、なぜ、なぜと「なぜ」を何度も繰り返していくうち、やがてパートさんの心理がはっきりと見えてきた。パートさんは3K職場に、「勤めてやっている」と考えているのだ。