監督が語る「若者論」の読み方
さて、近年の代表的なプロ野球監督の著作をいくつかみてきました。すべて同じというわけではありませんが、彼らにほぼ共通するのは、かつてのように組織のあり方をまず重んじ、個々の選手を統制しようとする姿勢が弱いことです。集団の規律がまったく重んじられていないわけではありませんが、それよりも選手の個性を尊重し、それを最大限に発揮させるような動機づけ、環境整備が指導者の責務の中心になってきているようにみえます。
こうした変化の根底にあるのは、落合さんと渡辺さんが直接言及しているような「若者観」ではないかと考えます。現代の若者はこうだから、かつてのやり方ではついてこない、だから違った対応をとらねばならないのだ云々、という考え方のことです。
ところで、連載第3テーマにおいて私は、自己啓発書は俗流若者論の側面をもつことを指摘しました(http://president.jp/articles/-/7410)。スポーツの指導者が示す若者論はどうでしょうか。これらは指導者の日々の経験のなかで育まれたもので、決して根拠のないものではありませんが、客観的な検証の手続きにのっとって得られた見解だとまではいえないはずです。
私がここで述べたいのは、スポーツ指導者が語る若者論も俗流若者論だ、ということではありません。そうではなく、それが連載第3テーマ「年代本」に示されるような若者バッシングの俗論であれ、落合さんや渡辺さんが述べるような自らの経験と照合された(しかし客観的とはいえない)見方であれ、世の中に流通している「若者論」は基本的には非客観的な経験則なのだということです。それによって、日々若者は把握され、処理されているのだということです。
組織全体のあり方を重視した上からの管理統制から、個々の人員の個性発揮を重視へ、という指導者たちの物言いの力点移行は、日本の教育が1980年代から現在にかけて移行させてきた力点でもありました。すると、スポーツ指導者たちの物言いからみえてくるのは、ただのスポーツ論ではなく、その時々の若者論でもあり、またそのような若者にどう対処するのかという教育論でもあるといえないでしょうか。
今回は、スポーツ関連書籍の1つの立場として、指導者の手によるものをみてきました。TOPIC-3と4では主に、もう1つの立場である選手によるものをみていきますが、その論点を先に示しておくことにします。次回TOPIC-3ではオリンピック選手、TOPIC-4ではサッカー選手とプロ野球選手をそれぞれ事例に、いつ頃から多くの選手が自己啓発書然とした自著を出すようになったのか、その動向を追っていきます。また、各選手の著作の内容を比較検討することを通して、スポーツ関連書籍とは何なのか、そして私たちはそうした書籍から何を学ぼうとしているのかを考えてみたいと思います。
『悪の管理学――かわいい部下を最大限に鍛える』
川上哲治/光文社
『わが教育野球学――組織のパワーを結集する法』
広岡達朗/毎日新聞社
野村克也/サンケイ出版
『原点――勝ち続ける組織作り』
原辰徳/中央公論新社『原辰徳と落合博満の監督力』
張本勲/青志社