空き家になって7年の古民家の風貌を、「まるでジャングルでした」と咲子さんは振り返る。近隣の住民から雑木林の一角だと勘違いされていたほど、外からは建物の全貌が見えなかった。

室内に入るとクモの巣だらけ。それでも、竹筒に覆われた天井の迫力、室内から見える庭の広さ、なにより目前に海が広がっている光景に咲子さんの胸は高鳴った。

「ここでお店をやろう」

その足で物件の持ち主の元に行き、カフェの事業計画を話すと、快く貸してくれた。

ここから、トントン拍子で準備が進む。三原市の創業支援の繋がりで地元の銀行と公庫から合わせて500万円の融資を受け、キッチンを改装。少しでも節約するために、内装や庭の手入れは夫婦自ら整えた。

古民家の庭
筆者撮影
「古民家カフェ&宿 むすび」の庭

古民家カフェで再起

2019年5月1日、「古民家カフェ&宿 むすび」をオープン。お店の名前は、「人と人、人と料理、人と空間をむすんでいきたい」という思いから名付けた。

この時点ではまだバスクチーズケーキは販売していなかったが、県産の魚や豚肉を使った定食と日替わりスイーツが楽しめるお店として新聞やテレビで紹介されると、全国各地から客が訪れるようになる。最大24席の店内は予約で連日満席。ランチ営業のみで毎月100万円以上を売り上げた。餃子店の時と比べると、雲泥の差だった。

人の温かさにも触れた。咲子さんが食材の買い出しに行くと、地元の農家から声をかけられ、「取り過ぎたけぇ」と新鮮な野菜をくれた。知らない土地で生きる不安が吹き飛んだという。

また、三原市は漁港が近いため、新鮮な魚を仕入れることができた。この環境によって咲子さんは料理人魂をかきたてられ、カフェのメニュー制作に一層力を注ぐようになっていく。

その頃の裕士さんは、借金を返済すべく、深夜に三原市内のビジネスホテルで正社員として働き、朝はパチンコ店でアルバイトをした。帰ったら2時間ほど仮眠し、カフェの営業が忙しくなる頃に起きて、配膳の手伝いをした。忙しかったが、裕士さんはまるで憑き物が落ちたような思いがしたそうだ。

「芸能界にいた頃や大阪で起業した頃は、(俳優仲間や知人に追いつこうと)背伸びしていたんです。心のどっかで無理をしてたんだなって思いましたね。今はすごくストレスフリーです。引っ越して、精神的に落ち着いたことが一番よかったです」

古民家
筆者撮影
古民家カフェ内から眺める日本庭園

コロナ禍で生まれたバスクチーズケーキ

カフェの経営が好調だった最中、新型コロナウイルス感染症が世界的に流行した。飲食店は臨時休業を余儀なくされ、大きな打撃を受けたのは記憶に新しい。2人も例外ではなかったが、そこで立ち止まらなかった。

ある日、ニュースで地元の学校が休校し、親たちが子どもたちのお昼ごはんを用意することができずに困っていることを知った。そこで2人はお弁当のデリバリーサービスを始めた。移住したばかりで土地勘はなかったが、自家用車に弁当を乗せて近隣を駆け回った。