目指すは「CoCo壱番屋の創業者夫婦」
取材の帰り際、「むすびカフェbettei」の庭で、裕士さんが昔を振り返るようにこんな話をしてくれた。
それは古民家カフェを立ち上げ、取材を受ける機会が増えた時のこと。調理を担当する咲子さんが料理の専門学校出身ではないことを、あるメディア関係者に「しょせん、主婦でしょ?」と軽く見られたことがあったという。彼女がひたむきに料理を作る姿を見てきた裕士さんにとって、それは耐えがたい「悔しさ」だったのかもしれない。
裕士さんは、夫婦で事業を全国展開させたCoCo壱番屋の創業者を例に挙げて、こう語った。
「だから僕、思うんですよ。CoCo壱番屋の夫婦みたいに、妻のチーズケーキでたくさんの人を笑顔にしていこうって」
今年1月、咲子さんはフランスの洋菓子専門店「ピエール・エルメ・パリ」のパティシエであるリシャール・ルデュ氏とウェディングケーキをコラボレーションしたそうだ。
「同じ厨房で一緒のケーキを作るなんて、ありがた過ぎました」と語る咲子さん。リシャール氏に触発され、新しいお菓子の商品の開発に力を入れ始めたそうだ。咲子さんは謙遜しながらこう語った。
「(自分たちの店は)ランチの店で『そこで出してるケーキが美味しいね』っていうぐらいでしたから。地元のケーキ屋さんに失礼がないようにと考えていたんです。でも、最近は『バスクチーズケーキの店』って言われるようになってきて、『もう(ケーキ屋って言っても)いいか!』って。だから、お店に並んでいるような商品も作ってみたいんです」
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今年で7歳になる娘のことねさんは、「将来、料理人かパティシエになって店を継ぐ」と話すと言う。そのことを話す咲子さんは、とても嬉しそうだった。
背水の陣で挑んだ三原市での起業。この町で、料理好きの咲子さんは、誰もが認める料理人とパティシエになった。そして、元俳優の裕士さんは、妻の作るケーキを全国に届ける社長になった。
「2人をここまで奮起させたのは、娘さんのおかげなのかもしれない」と思い、「お子さんが生まれて、変化がありましたか?」と聞いてみると、咲子さんが答えた。
「夫はさほど変わってないです(笑)。でも、私がすごく強くなった!」
すると、裕士さんがすかさず「いやいや、悪い意味でもな」とツッコミを入れた。
潮の香りがするこの町で、2人の笑い声が溶けていった。