なぜアイデアは突然ひらめくのか
前にも書いたことがあるが(http://president.jp/articles/-/1416)、わかりやすい話なのでスキーの話をする。スキーは、ボーゲンから始まってシュテムからパラレルへと上達する。それぞれ、スキー法は違っているので、習得するのはそれなりに時間がかかる。パラレルであれば、「膝を使う」とか、「体重移動で自然に曲がる」ことが助言される。だが、パラレルをやったことのない人には、言葉の意味はわかっても、それが身体の動作には結びつかない。しかし、いったんパラレルができるようになると、アドバイスの意味がすべてわかるようになる。それまで聞いた、さまざまなアドバイスが有機的につながり、秩序を持った知識となる。
この種の経験は、みなさん、どこかでされたことと思う。ゴルフで会心のショットを放ったとき、小学生の頃初めて自転車に乗れたとき、水の中で10メートル泳ぐことができたとき……。それまで、どうしてもできなかったことが、ある瞬間、できるようになる。そこで、初めて意味ある知識が形成される。
身体活動の世界の話がわかりやすいので、その話をしてきたが、同じようなことはアタマで考える観念の世界でも起こりうる。なぜかしら、ある観念がひらめく。ひらめいた瞬間を境に、これまでアタマの中が錯綜し混乱し、グジャグジャになって詰め込まれていたさまざまな情報や理論や経験が、突如きれいに秩序だって整理される。他人に対しても、その秩序だった世界を説明することもできる。
この話は、マイケル・ポランニーのいう暗黙知の次元の話と同じだ。ポランニーは、「それとわからないうちに(暗黙のうちに)認識できてしまう」知の次元があることを強調した。その事例で、アインシュタインが何の証拠もない段階で相対性理論と後に呼ばれる「観念の秩序ある全体像」をイメージできたことを述べる。発見の中身はいろいろ違っても、スキーのパラレルの発見と、創造的瞬間であることは変わらない。