江戸時代、三井家の3代目・高房は『町人考見録』を著し、「大名にカネを貸すべからず」という家訓を残したそうだ。そこには踏み倒し大名ワーストテンが記されており、仙台伊達家はその代表格だったという。

13歳で大阪の中堅米仲買、升屋の丁稚となり、25歳で大番頭となった山片蟠桃(ばんとう)は、それまで仙台藩に資金を提供していた蔵元が「用立てる資金のほうが、任される蔵米の額を超過する」と投げ出した後、代わって藩を支えた商人である。財政に窮していた仙台藩に融資を続け、藩の財政破綻によって升屋も連鎖倒産する危機を、類まれな商才で切り抜けた。バブルの田沼意次に代わり、松平定信による徹底した緊縮財政の「寛政の改革」が実施された時代のことである。

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