ヤマトパッキングサービス社長 
江頭哲也

鳥取県境港。山陰の重要な港湾拠点の近くに、江頭が開設を決意した「山陰流通トリニティーセンター」が操業を開始して12年1月で1年になる。

旧三洋電機(現在はパナソニックの子会社)の企業城下町として栄えた山陰地域には、今も500社を超える電機・電子部品メーカーが集積している。かつての納品先の組立工場は次々とアジアへ移転。残された部品メーカーは国内外から部品や材料を調達し、製品を輸出する取引に活路を見いだそうとした。ところが、境港の機能が不十分なため、350キロ離れた阪神港を使わざるをえない。コストやリードタイムの増大に悩み、競争力を高めるゆとりがない。その解決のため、トリニティーセンターは開設された。すべては江頭のある発見から始まった。

YPCは元来、メーカーが輸出する製品の梱包を請け負う会社だった。江頭が社長に着任した07年当時、産業空洞化を背景に業態転換を迫られていた。江頭は顧客の実態を知ろうと、一軒一軒訪ねることから始めた。その経緯を話す。

「梱包するのは運ぶためです。素朴な疑問で、どんな企業が何を何のために運ぶのか知ろうとしたのです。大手組み立てメーカーは完成品の多くをアジアでつくっていました。1次サプライヤーでアジアに出た企業も多くありました。ただ、部品や材料はまだ現地製品の品質が劣るため、日本に残る2次サプライヤーが輸出していた。そこで2次サプライヤーに着目し、輸出に関わる工程を聞くと、裏側で非常にコストがかかっていた。圧縮する仕組みを提案したのが始まりです」

江頭は、次の行動に出る。本来、代金の授受のない荷物の送り先、つまり、部品の買い手側の実態を知ろうと、今度は1次サプライヤーを回ったのだ。この行動もヤマトのDNAに由来した。

「宅急便には2つの顧客がいる」。小倉昌男(当時ヤマト運輸社長)は開設準備を瀬戸らに命じたとき、「需要家の立場に立って考える」ことを求めたが、需要家には2つの意味があった。1つはお金をもらう荷主、もう1つは「顧客の顧客」、荷物の受け手だった。