「弱い立場の側に立つ」とは、いい換えれば、「世のため人のため」を考えることであり、「小倉イズムの原点」(瀬戸)にほかならない。それが組織に根づく。東日本大震災の折、救援物資が避難所に届かない現実を目にし、自分たちの判断で輸送支援を始めた東北のSDたちのエピソードは、今もわれわれの記憶に残る。
「ヤマトさん、助けて!」。日本中からわき上がる声に応えるように、ヤマトは「アジア・ナンバーワンの流通・生活支援ソリューションプロバイダー」という近未来像を描き、サービスをより進化させようとしている。それは「21世紀の困りごと解決企業」を想起させる。
その一方で、変わらぬ光景もある。西和賀のSDは明日も雪道をかき分け歩く。ペナンのザキも荷物と一緒に笑顔を届け続ける。インストラクターの岡山稔昭も帰任すれば、顔なじみの顧客と挨拶を交わす日々に戻るだろう。
まごころ宅急便を始めた、ヤマト運輸岩手主管支店営業企画課課長の松本まゆみは、「孤独死をなくしたいならNPOを立ち上げれば」と周囲にいわれたが、「事業としてやれば、ヤマトがなくならない限り続く。その考えはぶれませんでした」。人と人のつながりがある限り、宅急便は続き、ヤマトも続く。
宅急便の年間取り扱い個数は国内では約14億個。「14億回、ありがとうをいってもらえる会社」とは瀬戸の言葉だ。私たち1人ひとりも関わる14億分の1の変わらぬ光景。その積み重ねがあるからこそ、ヤマトは日本の困りごとに立ち向かうことができる。その構図が浮かぶとき、ラストワンマイルを結ぶ、日本生まれの宅急便の持つ力を改めて実感するのだ。
(文中敬称略)
(鶴田孝介=撮影)