作家 山本一力

1948年、高知県生まれ。14歳のときに上京。都立世田谷工業高等学校電子科卒業後、通信機輸出会社、大手旅行会社、広告制作会社などを経て、97年に『蒼龍』で第77回オール讀物新人賞を受賞。2002年、『あかね空』で第126回直木賞を受賞。ほかに『損料屋喜八郎始末控え』『深川黄表紙掛取り帖』『道三堀のさくら』『まとい大名』『銀しゃり』『菜種晴れ』『いすゞ鳴る』『ほうき星』『くじら組』『晋平の矢立』『ほかげ橋夕景』『ジョン・マン 波濤編』など多数。エッセイ集に『味憶めぐり』『男の背骨』などがある。現在、23本の連載を抱える。


 

食べることは、人の生き方の原点だね。ものを食わなきゃ生きていけないんだから、食べることにいい加減な人は信用できない。結局、食に対して一生懸命ということは、自分が生きていくうえで生き方をきちんと持っているということだよ。

小説って人を描くものだから、その人がどう生きているかがものすごく大事になってくる。生きているということはものを食っているということ。だから、必然的に飯を食う場面が出てくる。それと、場面転換に食べ物はとても効果的だよね。作者というのは誰を描くにしてもその人物になりきっているから、自ずとその人の食べたいものが登場する。食い方も、嫌な奴は嫌な食い方になる。

仕事中でも旅先でも、頭にふっと食べ物が浮かぶ。昨年の夏、23日間かけてアメリカのシカゴからサンタモニカまでルート66を車で走った。距離にしておよそ4000キロ。同じ景色が続くと、雑談が始まるわけだよ。そうすると食べ物の話になる。砂漠の真ん中で「シシリア」のグリーンサラダを食いたいと思ったら、口の中にその味がわあっと広がってきてね。もう地獄だった(笑)。「新雅」でよく食べるソース焼きソバも、旅の途中でなんべん話したか。これが食べ物の魔力でもあるし、人が生きていく力の源だよね。

俺が「シシリア」に初めてきたのは18歳で社会人になってから。ということは通い続けてもう46年になるんだな。パスタも当時からあった。ピザは薄くてパリッとしていてね、こんなうまいものが世の中にあるんだとここで知ったんだ。味は先代から引き継がれていて、今もまったく変わっていない。

だけど、今の人はこういうところで飯を食うことのわきまえがどんどん薄まってきている。たとえば昼食時、あとに待っている人がいるんだから、食べたらさっさと席を譲るものだ。それを、いつまでも長々としゃべっている。お金を払っているからいいでしょうという妙な理屈を押し付けてくるが、そうじゃない。先輩や大人たちがわきまえを教えないから駄目なんだ。

子育てにしても然り。自分の子供をいじめるような親は、食うことを大事に学んでこなかったんだ。親に愛情のこもったものを食べさせてもらうとか、自分が思いを込めてつくるという考えには至らなくて、お金を出して店に並んでいるものを買ってくればいいというスタンスなんだろう。だから、子供がちょっと憎たらしいことをしただけで、簡単にいじめてしまうんだよ。

どうやったら子供においしく食べてもらえるか。それを考えることって愛情だろう。愛情さえあれば子供はちゃんと育つし、大概なことはやれると俺は思っている。