TBS報道局 解説委員 松原耕二

1960年、山口県生まれ。早稲田大学政経学部卒業後、TBS入社。社会部記者、「筑紫哲也NEWS23」「報道特集」ディレクター、経済部記者などを経て「ニュースの森」メーンキャスターに。その後、同番組の編集長となりニューヨーク支局長として赴任。帰国後、2010~12年「NEWS23クロス」メーンキャスターを務めた。現在は報道局解説委員。11年10月には長編小説『ここを出ろ、そして生きろ』で作家デビュー。『ぼくは見ておこう』など著書3冊。現在、テレビ局のインタビュアーを主役にした次の小説を執筆中。


 

「テレビ局の人は、いつもおいしいものを食べているんでしょうね」

よく言われますが、それは誤解です。私たちテレビ局員が食べるのは基本的には仕出しの弁当なんです。いまは解説委員なので、いくつかの番組にコメンテーターとして出演し、夕食は自宅で食べることができる。しかし、夜のニュース番組「NEWS23クロス」のキャスターをやっていた頃は毎晩、弁当を食べていました。しかも、近頃、テレビ局はあまり予算をかけられないので、揚げ物の弁当が増え……。中年の胃にはこたえました。亡くなった筑紫哲也さんは夜の番組を18年半もやっていたのですが、途中から「弁当はもう嫌だ」とおっしゃってました。もちろん、おいしいのもあるんです。しかし、18年以上も夜は弁当というのはちょっとキビしい。

TBSに入社して記者として社会部に配属されました。あるとき、田中角栄邸の張り番を命ぜられました。朝から晩まで門の前にいて、動静をうかがうのが僕の役目。昼になると、局から弁当が届くんです。お腹が減っていたし、スーツ姿で道端に座り、ご飯をかきこんでいたところ、目の前を小さな子どもを連れた母親が通りかかりました。そして……。

「ああいう人になっちゃダメよ」

こたえました。汗だくの服で人目を気にせず、弁当をぱくついていたのですから。ムカッときたけれど、いまとなれば、お母さんが言いたかったことも少しはわかります。

さて、いまはもう路上でひとり食べることはありません。食事は妻とふたりでゆっくりと楽しんでいます。うちで食べるときも外でも、夕食ではワインを飲むことが多い。ふたりで1本が適量です。それ以上飲まないよう、心がけているつもりです。

「小田島」はワインと和食の店。初めてうかがったときから、すっかりファンになりました。一品一品に合わせて、ご主人が手ずからワインを選んでくださる。それがまた料理とぴったりで、ついつい、飲んでしまう。ここにいるときだけは確実にふたりで1本以上、飲んでいます。料理はご主人と息子さんで、マダムはサービスを担当しています。店にいるというより、小田島家に招かれて食事をしている気分です。

もう1軒は「SHIN2」という目黒の立ち飲みのフランス料理店、そこもまたやっている人たちの感じがいい。おいしいものを少しでも安い値段でお客さんに食べてほしいという心意気が伝わってきます。思えば、僕がよく行く店は活気があって、スカしていなくて、店で働いている人たちの表情がいいところ。その店が好きというより、そこで働いている人が好きなんです。人が好きだから、キャスターもやるし、小説も書く。人を描くのが僕の仕事です。