もともとは「歯槽膿漏の汚い歯」の写真看板だった
ただし、看板広告をやるうえで心に決めていたことがあります。それは、同業他社が追いつく前に「きぬた歯科」の認知度を広めてしまうことです。よく先行者利益といいますが、先に行ったほうがインパクトは残ると考え、一気呵成に増やしました。早いときで週1個のペースで看板を立てていったのです。
もともとはいまのような顔看板ではなく、歯槽膿漏の汚い歯と治療後の写真をセットにしたビフォーアフター看板をメインにしていました。実は、いまもそれがもっとも効果があると考えています。なぜなら、歯槽膿漏の歯を見せられると誰でも驚きますし、インパクトが絶大ですからね。
ですが、必ずクレームがくると見ていました。わたしはものごとを進めるとき、つねに最悪の事態を想定するようにしています。それにより、なにが起きてもあらかじめ対策しておけるし、ある程度の心づもりもできます。
そうして強烈なインパクトを与えながらも、実際にクレームが増えてきたタイミングで、顔看板に変えていったのです。
「知らない院長の写真」で「うさん臭さ」を演出
【澤円】街で見かける顔看板では、たいていタレントやモデルが目に付きます。実際に経営をされている歯科医の顔看板というのは異例でしたよね。
【きぬた泰和】そう思います。いまでこそわたしの真似をする歯科医がたくさんいますが(笑)、当時は皆無でした。
かくいうわたしも当初はタレントを起用しようと考え、デザインにはめ込んで検討したこともあります。でも、なにかしっくり来ない。どうにも「決まり過ぎる」のです。そうなるとインパクトがなくなり、ただの風景になってしまいます。看板を見た人に、「この人いったい誰?」と思わせるには、やはり誰も知らないわたしの顔が一番よかったということなのでしょう。
ただし、インパクトを出すデメリットもあります。それは先に述べたように、不快になる人もいることです。それでも、そうした意外性や「うさん臭さ」にも、人はやがて慣れていくという計算をしていました。
アメリカの社会心理学者であるロバート・ザイアンスが研究した、「ザイアンス効果」というものがあります。これは「単純接触効果」ともいわれ、簡単にいうと、最初は不快に思ったとしても、何度も見ているうちに警戒心が薄れ、やがて親近感すら持つ効果として知られています。
【澤円】なるほど。2024年7月に上梓された『異端であれ!』(KADOKAWA)には、「異様さ」や「うさん臭さ」を計算に入れていたとありました。
【きぬた泰和】多くの人の実感においても、人には「うさん臭いもの」が気になるという面がないでしょうか? 怖いもの見たさで見てしまったり、どうしても気になったりしてしまうことがあると思います。
つまり、「異様さ」や「うさん臭さ」も、ひとつの魅力になり得るのです。それらに引きつけられ忘れられなくなることがあるのは、人間の心理に基づいているというわけです。